713.毒親との距離のとり方
2023.01.18
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
どこにでも、子育てが上手に出来ない親なんていくらでもいるものです。というかほとんどの人が上手く出来ないと思っておられるのではないでしょうか。私自身も親でもありますが、人に自慢できるような子育てが出来ているとは、恥ずかしながら申せません。
親というのは難しいもので、自分に子が出来ると親は祖父母になるわけです。ヒト以外の大型類人猿では子育ては母親が行っているとも言われています。共同で子育てするのが人間の特徴なのですが、自分をマルトリートメントした毒親は孫にも悪さをすることもありますし、ベビーガードを除去したり、怪我をしかねない遊び方をしたり、注意を聞いてくれなかったり、となかなか困難なことがあります。
そういう毒親がいた場合、どうするかと言うことになりますが。現在の新しい家族が関係良好なのであれば、両親と子供のユニットで幸せを作ることに集中していきます。安全義務に従ってくれない毒親は家に上げないようにせざるを得ないでしょう。関係を断ち切るというのはやり過ぎなので、会う時は必ず夫婦共にタッグを組んで子供の安全を確保していくように打ち合わせるなども大切です。
写真などを送ってやるのは良いかもしれませんが、SNSに無断で顔を晒すようなことをする場合は、写真も送れないということになるかもしれません。
冠婚葬祭の最低限と自分たちに被害の少ない最小限の付き合いに留め、後は、盆と正月のお付き合い等、被害を拡大させないことに努めます。被害が拡大すると毒親に対する不満や悪感情が悪化しますから、その予防措置と言うことです。被害を拡大させないように鉄壁にガードしながら、付き合える所で付き合うように折り合いを付ける、ということになりましょう。
細かい所はケースバイケースですので、思い当たることがある方はご相談頂ければと思います。
712.自分で決めること
2023.01.17
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
子は鎹(かすがい)などと申しますが、夫婦が上手く行かない時に、子供がいると、それで離婚を思いとどまることもありますし、耐えている内に双方成長してより良くなることもあるでしょう。逆に、なかなか上手く行かないけれども、子供のことを考えると今は離婚は難しいなど、子供がいることによって大人がその責任を感じて、なかなか自分だけの意見を押し通せないこともあります。
夫婦は十人十色、百人百様ですから、一つとして同様の組み合わせはありません。近年はLGBTQもありますから、同性を含めたマイノリティのカップルに於いても、接近してからこじれた関係性というのは同様に難しいかもしれません。
当院では、どのようなご相談でも基本的に承ることにしています。そういう中で重要なのは、人生における重要な決断を、誰かのせいにはしないということです。特に子供のせいにするのは推奨できません。子供のことを配慮したけれども自分が決めた、と思えることが大切です。逆に申しますと、どんな茨の道であろうと、自分で決めたのであれば歩けるのです。
精神療法家は、代わりに人生を歩いて差し上げることは出来ません。あくまでもご自分の人生を歩まれるのはご自身です。私共は道に迷ったり崖に落ちたりしないよう足元を照らしたり、先の見通しを見えやすくするお手伝いをさせて頂いております。踏み外さないようには出来るだけの援助を致しますし、決断する前の悩んでいる状態についてもご相談を承ります。その上で、よく考えて頂いたら、道は自分で決めることが大事です。
その悩みのプロセスや、考えの交通整理が必要であれば、どうぞご相談頂ければと思います。
711.道を反対側向いて歩いてみると
2023.01.16
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
余裕のある時は、火ばさみを持って主に202号線のクリニックの近所の路上ゴミなどを収集しています。
道である以上、行きと帰りがあります。振り返ってクリニックに帰ろうとすると、さっき通った所、先ほどの自分の足元なんかにゴミを発見することがありますから不思議なものです。
見方が180度変わると案外ゴミが落ちていたのは自分の足元だった、ということでしょうか。
これは、人間関係でも近いことがあるかもしれません。
相手の対応が不十分だと不平不満を持っていても、相手から見たら当方の理解が不十分だという風に見えることもあるかもしれません。
ちょっとお掃除に出掛けるだけでも、見えないこと、気づかないことなんてあるものなんだなぁと独り感心しながら、皆様のいらっしゃる道が少しでも綺麗になるように、吸い殻等を拾い集めております。
何か行き詰まっている時は、思い切って反対側から物をご覧になってみてはいかがでしょう。
710.伴侶性
2023.01.15
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
カウンセリングは受容・共感・傾聴などと言いますが、前稿でも書きました松原秀樹先生は伴侶性という言葉を使われました。
あたかも伴侶であるかのようにしっかりと寄り添うということですね。
行動療法の造詣も深かった秀樹先生は、生活の行動パターンに介入することもお上手でしたし、自律訓練法のエキスパートでもあったので、セルフコントロールとしての自律訓練に持ち込まれることもとてもお上手でした。
私共セラピーのプロは、伴侶にこそなれませんが、あたかも伴侶のように、時には伴侶以上に、受益者の皆様の生活様式に伴侶性を持って助言や提案などを行っています。それは、必ずしも壊れつつある家族を修復するとも限らず、DVや虐待に遭っているなら離別や別れ、独立などをご提案することもありますし、過剰に攻撃的になってしまっている場合は折り合いを付けて頂いたり、健全にあきらめて頂いたりすることもあります。とにかく、受益者の方がしっかりと一歩進めるように、寄り添う精神で参ります。
逆にプロの精神療法家ですと、夜中にLINEすることもなければ、食事に付き合う必要もありません。予約の時間帯に、規定のお支払いと共に綺麗に割り切りつつ、ご相談中に伴侶性を発揮していくことになり、また守秘義務のために他所で口外することもありませんから、安心して伴侶性にお任せ頂けるのではないかと思います。
709.受益者
2023.01.14
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
師匠の一人に、故松原秀樹先生がいます。日赤広島看護大学の教授をされた先生で、自律訓練法の自律訓練学会を立ち上げた一人でもあります。福岡臨床心理研究会でも講師をお務め頂きました。その時、教えて頂いたのは、受益者尊重。
これは、対象となる方を、患者でも、来談者でもなく、受益者と呼んでいる所に、秀樹先生の臨床家としての覚悟が見て取れます。プロとしてお目に掛かる以上、何らかの利益を提供せずには帰せないというわけです。簡単な言葉に言い換えますと、秀樹先生は、相談に来られた方に必ず「お土産」を差し上げるように心がけていたと言います。別に菓子折を上げるわけではないのですが、治療指針の光になる物、自分を肯定してもらうことなど、受益者の方が相談して良かったと思えるものを何か提供する、というのがお土産、という言葉の意図になります。この研修は私にとって一つの大きな収穫になっており、受診して頂いた方には必ず何か来て良かったというものを提供できるように心がけています。
秀樹先生の教えが、少しでも受益者様の皆様のもとに届きますように。
708.治療意欲がありさえすれば
2023.01.13
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
時々、難しい人格障害だと思うが、というご相談を頂きます。
当院は、入院施設や依存症の互助団体は保持していませんので、そういう物が必要な方となると継続的に診療させて頂くのは構造上難しいのですが、1回診察をして道筋を付けたりすることもしています。基本的に治療意欲をお持ちであれば、昔反社会におられて「お務め」に行かれていた方も、人格障害であっても基本的に拝見しています。ただ、お酒を止めて頂く必要があっても止められないとか、スタッフに威圧的であるとか、治療的介入にも反論的な姿勢で来院されてしまうとかがあると、継続するのは難しいことになりますが、治りたい、治したいという御意志があれば基本的には承っています。
衆生済度という言葉がありまして、迷える人は全て救いたいというのが阿弥陀如来の本願と聞きます。
私はそこまで信心深くはありませんし、阿弥陀様ほどの力もないのですが、当院の門を叩いてくれた方には、基本、衆生済度の姿勢でいたいと思っています。提供できるのは医療ですが、治療意欲がありさえすれば、どんな方でも一度拝見させて頂こうと考えています。
707.道を清める
2023.01.12
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
最近、時間と気力と体力に余裕があれば、出来るだけ、近所のゴミ拾いをしています。
やってみると、10分少々で終わるので、職員全員に音頭を取るほどでもないのかなと思い、粛々と独りでしています。568稿、火ばさみの所でも書いたのですが、火ばさみと携帯ゴミ箱を持ってうろうろしています。歳を取ったということなのかもしれませんが、別に自分が清掃したということを誇ることもないですし、単に道が汚いと悲しくなるし、綺麗だと嬉しくなる、ということです。
天才バカボンのキャラクターにレレレのおじさんという人がいて、いつも道を掃き掃除しています。「お出かけですか?レレレのレー」というのが決め台詞なのですが、このレレレのおじさん、モデルは、仏教の周利槃特(シュリハンドク)ではないかと言われています。これと言った神通力のない周利槃特は、迷いを釈尊に相談した所、ひたすら道を掃き清める課題を与えられたと言います。私も、当院のロゴにありますように煩悩の多い人間ですから、いくら掃き清めても煩悩が消えることはないのですが、煩悩は消せなくても、落ちている吸い殻を清めることは物理的に出来ますし、物理的に清掃できただけでも少し気持ちが綺麗になります。
今年も初仕事の前に、朝から近所一帯のゴミ掃除をして参りました。
周利槃特ほどになれるかも分かりませんが、道を清めて、皆様をお待ちしたいと思います。もしも道に色々な物が落ちていた時は、追いついていないと思うので申し訳ありません。毎日出来るわけではなく、義務化してしまうとしんどい気がするので、出来るだけやろう、と緩く考えています。
706.聞かれたことに答えられるか
2023.01.11
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
色んな関係が上手く行っていない、というご相談は当院のようなクリニックですと毎日のようにあります。
その中で、もちろん、相手方が意地が悪いとかひねくれているという案件もありますが、それについては今回は触れません。
大変な思いをしてきた、とか、思い入れが沢山ある、など、色んな理由はあれども、ご相談頂く方の中には、質問した内容にストレートに答えられない人がいます。
治療の目的や目標を定めようと質問をした時に、そもそもその話はAさんが・・・と原初の理由を述べ始めたり、不幸な生い立ち故に人を信じることが出来ず・・・、と壮大な背景を話し始めたりすると、どうしたいの?という質問がぼやけるばかりかどんどん焦点がぼやけて行ってしまいます。そういう場合は、どう簡単にまとめて良いか分からない、くらいのことが言えれば良いのですが・・・。
もちろん、当院のスタッフは、医師も心理師もトレーニングしていますので、お話が迂遠になったとしても、それなりに焦点化するなど質問の技術を駆使してお話を伺うことが出来ますので、お客様の話し方が悪い、という風には申しません。しかし、聞き手が上司や同僚、後輩等、あなたのお話が迂遠な時に、辛抱して聞く義務を負っていない人だったらその話し方はいかがでしょう?
疑心暗鬼になってしまうと、質問に質問で返してしまったり、その質問には深い意図があるのか?と考え込んでしまうこともあるかもしれません。このような時、最も最適な解は、奇をてらわず、等身大で自分の実力通りに、聞かれたことにシンプルに答えること、ではないでしょうか。分からない、上手く答えられない、という回答も含めて、聞かれたことにまず答えること。それは、出来ている人には造作ないことなのですが、上手く出来ない人には結構盲点になっています。
はい、いいえ、で答えられることには、はい、いいえ、で答える。
単語やフレーズでの答えを求められている場合はまずそれを答える。
分からない時は素直に分からない、上手く答えられないと告げる。
単純なことですが、答えについて難癖を付けられるなど、虐待的な扱いを受けた人には、難しく感じることもあるようです。心の傷については、また別途、診療で癒して差し上げて参りますが、聞かれたことにシンプルに答える、という単純なことを私達は忘れがちなのかもしれません。
705.上納金
2023.01.10
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
上納金、ってヤクザ映画の世界だけではなく、割と色んな所にあるようです。
下世話な話を申しますと、私の実家の寺院も本山や地域の仏教組合みたいな所に納めるお金があったようですし、余所事ではなく、医師会費も払っていますから、私も上納金を納めている立場ですね。子供が習っていた音楽のメソッドでも本部への会費とかありましたし、色々あるようです。
もちろん、上納金は、ケアとバーターになっており、ヤクザ映画の世界では、もめ事を親分たちが解決してくれたりしますし、医師会も、適正な医療を提供すべき助言をしてくれたりします。
先日はある団体の上納金が結構高いんじゃないかという話を伺いました。
先ほどから述べておりますように、適正価格という物があり、上納金制度=悪、ではないと思っています。上納した分が適正にケアされていれば、一つの契約として双方納得の行くものになるでしょう。しかし、お金が高くケアが低めというのは、上納である以上、対等な関係はありませんから、ケアは低めでも権威があるので適正だ、と上側は考えているし、ケアが低くても権威から受けられるならこれで良い、と下側が考えているでしょう。そういう、力関係によってが権威が価格化されます。
難しいのは、神仏の前に平等を謳う宗教の上納金であったり、誰のものでもない芸術であったりする場合です。
宗教についても、深い考察や感動を与えられる説法があるならば、それは評価されるでしょうし、芸術も、高度な技術を持つ画家や演奏家であればこそ、その技術が高く評価されるでしょう。
いずれにしても、上納金になってしまった時にはある程度不労所得と権威付のバランスということになります。
自分のポケットマネーで高く評価している所から技術を頂く場合は一つのお月謝として払えるでしょうが、これが車一台、家一軒とだんだん高くなってくると、それを支えるユーザーの負担ということも考えなければなりません。
そういう時にシンプルに考えるのは、「高いと思ったら良くない」ということです。高い物が悪だとまでは申しませんし、いくらからが高いかは支払い能力によるでしょう。自分で自由になるお金で支払えないもの、それは、善とか悪とか論じる前に、支払い能力を越えた物は払わない、というのが原則です。それが守れていれば、某宗教団体の過剰なお布施もなかったと考えられます。
リターンが曖昧な所に支払いをする場合、対象が好きだから、応援したいから、支払うのか。リターンから多くの物を得られる確信があるから支払うのか?それで自分を含めて家族も不幸にならないことを確認して支払うのか?
よくお考え頂くと良いのではないでしょうか。
704.成人式
2023.01.09
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
成人式というのは、一生に一度のイベントです。浪人中でもない限りは多くの人が参加されたのではないかと思いますが、最近はCOVID-19の影響もあり、数年満足に開催できなかったようだとも聞いています。九州地方になりますと、一部では特攻服が流行っているという話もあり、地域柄結構違うのかなぁとも思いましたが、そういうファッションにこだわる方でなければ、割と通常の出で立ちとなることが多いようです。
最近は、18歳成人という法制化もあるのですが、基本的には20歳になった学年で成人式をするということは今の所変化がないようです。これはおそらく、高校3年生でこのイベントをやられると、受験生の大半は共通ストと同日か前後の週ということになって参加できない、という社会的要請もあるのでしょう。
近頃の若い者は、という言葉は年寄りのイディオムかもしれませんが、そういう言い回しがある一方で、ワールドカップなどを拝見しておりますと、代表戦士(選手が適正でしょうが敢えて戦士と書きました)は日本人としての誇りを高く持っていますし、平成生まれがほとんどであろうお客さんも、カタールでゴミ拾いして帰ってきています。案外、近頃の若い者も古い者も、認識は違わないんじゃないかな、とも思います。
いずれにしても、新成人の方々が、高い自覚を持って社会に参画して行って下されば幸いと思いますし、随分前から成人をやっている私共も、再度自覚をし直す必要があるのかなと思います。