ブログ

695.歳の終わりに

2022.12.31

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 あっという間に大晦日ですね。今夜は蕎麦を頂こうと思っています。

 開業して1年7ヶ月が経過しました。おかげさまで患者さんのIDも900を越えました。沢山の方にご利用頂き、ありがたいことです。福大病院や中村学園大学など、しっかりした施設とも連携が緊密になり、心強く思っています。かなり遠方からお子さんの受診も頂くようになりました。
 今年度からは心理職が常駐するようになったのが一つのポイントで、2名の臨床心理士・公認心理師が交代でカウンセリングや心理査定にいそしんでいます。看護師も、心強いスタッフが、患者さん中心の心で、予診聴取や採血・心電図検査等に対応してくれています。
 私自身成長したと思える所もあれば、まだまだ至らずこれからもっと成長する必要があると省みている所もあります。
 
 ご来院頂く全ての方のお役に立てるよう、専門的知識の深化やアップデートを重ねて参りたいと思います。

 当院のスタッフは皆仲が良く雰囲気が良いのもありがたいことです。情報を円滑に共有しながら誠実に務めて参ります。

 来年も、皆様のお役に立てるよう、更に努力を重ねたいと思います。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

694.我らはきょうだい世界は一つ

2022.12.30

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 年末になりますと、クラシック好きの人はベートーヴェンの交響曲第9番合唱付を聞きたくなるようです。友人などは歌ったこともあるようです。
 俗に歓喜の歌と呼ばれる第四楽章の合唱は、人類愛・世界平和を歌っているようで、とても心強いですね。

 感染症に、戦争、物価高となかなか大変な一年でしたが、ベートーヴェンの精神に学んで、戦争のない世界になってくれたら、と思っています。

693.Believe

2022.12.29

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 杉山隆一作詞作曲で、Believeという曲があります。
 良くお邪魔させて頂いている、和光音楽アカデミーのアルマカフェコンサートでは、最後はBelieveを斉唱します。最近は別のイベントでも同じようなことがありました。
 戦争やコロナ禍など、世の中が暗くなるニュースの中、人々が手を取り合って平和に暮らしていくことを願いたいものです。
 悩みというものは、何かが上手く行かない時や、いさかい、軋轢、摩擦などの時に深まります。
 なるべくwin-winで、双方に良い結果となるソリューションを目指して、常日頃から工夫していきたいと思っています。

 I belive in future…信じてる。

692.温かい声を掛ける

2022.12.28

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 挨拶って、気持ち良く出来ると良いですよね。

 ボディートークの城石明喜子先生によると、温かい声を掛けると、声を掛けられた相手の体もほぐれるそうです。
 同じ、「おはよう!」も、お通夜のように言うのか、快活に言うのかによって相手に与える印象は違います。温かい声を掛けられると、掛けられた方も気持ちが温かくなるようです。それがその方の家族や周囲に波及してどんどん周りが幸せになるかもしれません。
 挨拶をする時、出来るだけ温かく、相手を包むような気持ちでお声を掛けられてはいかがでしょう。

 人間関係が少し良くなるかもしれません。

691.何だこいつ

2022.12.27

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 気に入らない相手に対して、内心、「何だこいつ」って思ったこと、ありませんか?人間出来ている人はそうでもないのかもしれませんが、私は結構ありました。
 でも、何だこいつ、って思った思いは態度や仕草に表出されます。相手の方が別に臨床心理士や精神科医出なくても、自分のことが気に食わないんだろうなっていうのは割と瞬時に分かります。何だこいつ、と思っていると、相手の人も、あなたのことを何だこいつ、と思っていることって、割と多いかもしれません。
 相手の態度が気に食わない、と思う時、前稿でも書いたように、相手の反応は自由である、ということから、帰られるのは自分の態度やオーラです。

 何だこいつと思った時ほど、自分から認識を改めて、愛情やリスペクトを表現してみても良いかもしれません。

 上手く伝われば良いことがあるかもしれません。まあ、相手の反応は自由なので、効果があるかは分かりませんが、少なくとも、自分のネガティブな応対というのは、変化しているのかもしれません。

690.相手の反応は自由である

2022.12.26

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 母が分かってくれない、夫が分かってくれない、妻が分かってくれない、子が分かってくれない、等々、持ち込まれるご相談の中には相手の無理解に苦慮するものがあります。
 価値観が違う場合は話し合いや歩み寄り、折り合いを付けることも大切です。あまりに相違がある場合、友人関係であれば自然と距離が開くでしょうし、夫婦関係であれば別居や離婚も視野に入り始めるかもしれません。

 相手が全く分かろうともしないのも問題のことがあるかもしれませんが、働きかけをした時に、それを応諾するか、拒否するか、保留するのか、などは全て相手の自由であると言うことが忘れられているのではないでしょうか。もっと認めて欲しい、褒めて欲しい、という時に、褒めてもらうことや賞賛を期待していないでしょうか?

 もしその不満が、期待値通りでない相手方の反応に対するものであったとするならば、それはとてももったいないことではないでしょうか。
 相手の反応はそもそも自由なわけですから、期待値通りでないというのは虫の良すぎる話です。

 ですので、そのような不満は、相手に無理な期待をしてしまっている自分に原因のある怒りや不満と言えましょう。そもそも相手に何も期待しなければ、褒めてくれればとてもラッキーですし、距離のある対応をしてもそれはそれでその方を尊重できます。

 人権問題などが取り沙汰されていますが、別に、一定の地域や民族の弾圧だけではなく、我々も普段から、相手の人権や人格を尊重する必要があります。それが、相手の反応は自由である、という立場です。普段から相手の反応に厳密に自由を保障して生きていくのは、我が儘を言いたい時にはちょっと厳しく感じることもあるかもしれません。しかし、逆に自分のよう自適万能感から解放され、楽になることが出来ます。

 異なる文化背景や生い立ちの人達とやりとりが増えるほど、相手の反応は自由である、という立場は、生きやすくなります。

 もし相手に何か期待してイライラしたり不満を持ったことに思い当たる方は、相手の反応は自由である、ということを今一度掘り下げてお考え頂いてはいかがでしょう。

689.息吹き(いきぶき)

2022.12.25

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 通常の漢字の読みでは息吹(いぶき)というのでしょうが、私が学んでいるボディートークに於いては、息吹き(いきぶき)という方法があります。

 増田明によるボディートークの理論では、胸椎(Th)3番は切なさ、Th4は言いたいことが言えないなどと申します。
 いじめられたり、虐待されたり、鬱になる子はここを詰めていることが多いです。

 うつ伏せで肘をついて上半身を起こし、首をがっくり垂れると、首の後ろに浮かんでくる骨が頸椎7番です。ここから椎体を一つ二つと探っていき、三つ目がTh3,四つ目がTh4となります。ここに両手の人差し指と親指で三角形を作り、子供さんの背中などにハンカチを当てて息をぷー、ぷーと吹き入れます。とても温かいのです。

 これをすると小学生以下の子などはすぐに元気になる子すらいます。
 お母さんとか、愛情をかけて上げたい時にこれは効果的です。夜泣きの赤ちゃんの対応として198稿でも紹介したのですが、最近も使ってみて効果的だったのでまたご紹介致しました。

 切ない時、悲しい時、寂しい時、言いたいことをぐっと我慢している時、大切な家族などに息を吹き入れてもらうと、少し元気が出てきます。頼める相手がいる時はぜひお試し下さい。
 一人の時は、その表側の前胸部も同じ位置づけなので、両手を重ねてじんわり温めても良いでしょう。

 その時に、自分の感情が出てきた時は、それに即して、寂しかったね、悲しかったねとなぞりながら、もう大丈夫、よしよし、と言います。自分以外の人に手を掛けてもらう方が早いですが、独りでいる時は、独り声かけが良いでしょう。自分でやっても幾ばくかは効果があるはずです。

 疲れてしまった時、良ければお試し頂ければと思います。

688.いじめた相手には

2022.12.24

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 我が子がいじめに遭ったなんて聞くと、気が気ではありません。
 ちょっとしたからかいのつもりだったり、腹いせだったりで始まっても、継続的、組織的になると、それ自体が大きなダメージを与えかねません。

 学校も、良い担任の時もあれば、そこまででないこともあります。教務主任や教頭、校長、スクールカウンセラーのいずれのレベルにも、優れた人やそうでない人がいます。

 こういう時に大切なのは、子供に対して、とても大切に思っていることを伝えることはもちろんですが、本気で組織に関わることです。親が本気を見せることはとても大事です。
 また、加害者の相手には、「これでうちの子が死んだら、あなたはどのように責任を取るつもりですか?」と聞くことです。怒鳴ったり威圧したりする必要はありません。責任を問うてみて下さい。責任が取れるつもりでいじめている人間はいませんから、まともな神経の人ならハッとするはずです。
 そして、それ以上は追及しても仕方ありません。深く考えていたらいじめないわけで。
 
 また、いじめられた子が、「ごめんなさい」に対し「もう良いよ」と仲直りするのは、管理者には理想的かもしれませんが、必要ないと思っています。簡単に許せることではないので。今後いじめずに普通に接して欲しいということと、まだ許せないが、セラピーを受ける。ということで良いのだと思います。いじめた側が長期にわたっていじめたのに一瞬でごめんで済むというのは虫の良すぎる話です。再発予防はもちろん大切ですし、仕返しをして良いわけでもありません。再発予防や啓発を重ねつつ、簡単に許せることではないことをいじめた人間や傍観者にも周知する必要があります。

 それでも結局、最後は被害者が加害者を許すしかないのですが、丁寧にプロセスを踏むことが必要なのではないかと思います。癒やしや切り替えに心療内科や精神科の力が必要な時、出来る限りお力になれたらと思っています。

687.懸情流水、受恩刻石

2022.12.23

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 色々配慮をしてあげても、当たり前な顔をして御礼も言わないどころか、こちらの落ち度を責め始める人までおり、世の中なかなか難しいものです。
 せっかくこうしてあげたのに、ああしてあげたのに、という思いがあると、怒りやら落胆やら色んな気持ちが渦巻いてしまいますね。最近であった言葉に、懸情流水、受恩刻石というものがあります。元々は仏教経典と言いますが、ググった程度では、何という経典なのか判明しませんでした。

 懸けた情は水に流し、受けた恩は石に刻め、ということですね。

 あれこれしてあげた、という気持ちは執着になりますから、執着が怒りや嫉妬の原因となります。私も、色々してあげたのに、とすぐに思う質ですから、戒めたいものです。そして、受けた恩は忘れてしまいそうですが、しっかり石に刻印するくらいの気持ちで刻み込むことが大切なようです。

 執着から自由になり、感謝を保持する。これは、自分の心の健康のためにも良さそうです。

 体現するほどのレベルは遠そうですが、自戒を込めて日々、心がけて参ろうと思います。

686.烏骨鶏

2022.12.22

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 以前、友人から烏骨鶏をまるごと頂いたことがあります。
 烏骨鶏とは、骨が烏のように黒いというのですが、皮も灰色です。
 滋養に富み、食べると元気になると言われています。中国などが原産で、マルコ・ポーロの「東方見聞録」にも「黒い鶏」として報告があるようです。綿毛のような羽毛を持っています。産卵数が少ないために、卵1個500円することもあるとか。性格が大人しく、子育てが上手でキジなど他の鳥や他の鶏の借母にもなるそうです。

 頂いた烏骨鶏は丸焼きの後、スープ等で楽しんだのですが、もう滅多に手に入ることもないかもしれません。

 珍しい食べ物は、購入するのも一手間ですが、頂き物ですと、そこに至るつながりや感謝も感じられて良いものです。

 お歳暮などが行き交うこの頃、みなさんが交わし合う感謝の気持ちはどんな有り様でしょうか。

地下鉄七隈線「六本松駅」徒歩5分