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690.相手の反応は自由である

2022.12.26

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 母が分かってくれない、夫が分かってくれない、妻が分かってくれない、子が分かってくれない、等々、持ち込まれるご相談の中には相手の無理解に苦慮するものがあります。
 価値観が違う場合は話し合いや歩み寄り、折り合いを付けることも大切です。あまりに相違がある場合、友人関係であれば自然と距離が開くでしょうし、夫婦関係であれば別居や離婚も視野に入り始めるかもしれません。

 相手が全く分かろうともしないのも問題のことがあるかもしれませんが、働きかけをした時に、それを応諾するか、拒否するか、保留するのか、などは全て相手の自由であると言うことが忘れられているのではないでしょうか。もっと認めて欲しい、褒めて欲しい、という時に、褒めてもらうことや賞賛を期待していないでしょうか?

 もしその不満が、期待値通りでない相手方の反応に対するものであったとするならば、それはとてももったいないことではないでしょうか。
 相手の反応はそもそも自由なわけですから、期待値通りでないというのは虫の良すぎる話です。

 ですので、そのような不満は、相手に無理な期待をしてしまっている自分に原因のある怒りや不満と言えましょう。そもそも相手に何も期待しなければ、褒めてくれればとてもラッキーですし、距離のある対応をしてもそれはそれでその方を尊重できます。

 人権問題などが取り沙汰されていますが、別に、一定の地域や民族の弾圧だけではなく、我々も普段から、相手の人権や人格を尊重する必要があります。それが、相手の反応は自由である、という立場です。普段から相手の反応に厳密に自由を保障して生きていくのは、我が儘を言いたい時にはちょっと厳しく感じることもあるかもしれません。しかし、逆に自分のよう自適万能感から解放され、楽になることが出来ます。

 異なる文化背景や生い立ちの人達とやりとりが増えるほど、相手の反応は自由である、という立場は、生きやすくなります。

 もし相手に何か期待してイライラしたり不満を持ったことに思い当たる方は、相手の反応は自由である、ということを今一度掘り下げてお考え頂いてはいかがでしょう。

地下鉄七隈線「六本松駅」徒歩5分