726.食事は楽しんで食べよう
2023.01.31
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
過食症に陥る時、空腹感だけでなく、口寂しさや空虚感を持っている人も少なくありません。そういう方は、自分の軸が定まっておらず、他人をうらやんだり比較したりしてしまいます。
いずれにしても、空虚感にさいなまれて食事をすると、どんどん食べ続けてしまいます。
食事は、生きていくのに必要な行為ですし、日常に欠かせないルーティンです。通常は3食頂くわけですが、出来ればその時間は楽しくありたいものです。
他の動植物の命を頂く、というリスペクトももちろんですが、本能的な欲に起因するものであれば、楽しく頂くのもリスペクトの一つになるでしょう。
家族や友人と食べるのであれば楽しく過ごすように心がけたいものですし、独りで食べる時も、食事にありつけたことに感謝しながら、ありがたく楽しんで食べられたら良いなと思います。
頑張っても楽しめない、という時は大変です。そういう時は、私共にご相談頂ければと思います。
725.満腹中枢
2023.01.30
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
心療内科の疾患には摂食障害があります。簡単には拒食症と過食症があり、細かく分けると制限型やむちゃ食い排出型、特定不能等の分類もあります。
過食をしてしまう場合、もちろんカロリー制限などに気を遣うことも大切かもしれませんが、実現困難な低カロリーを徹底しようとしても上手くいきません。その場合よく言われるのが、満腹中枢です。
満腹中枢は食後20分くらい遅れて刺激されます。
最近の人の食事は10分くらいのことも多いので、食べ終わってまだ食べ足りない、と思う時、次の食事に手を出さず、温かいお茶などを飲みながらゆっくり過ごすと良いでしょう。
そうすると、徐々に満腹中枢に刺激が行き、満足感が得られます。満腹中枢が働いてくるとそれ以上食べなくても大丈夫になるので、必要量を早く食べてしまった場合、20分くらい時間が経つのを意識されてはいかがでしょうか。
無理なく、適切な食事量が取れるのではないかと思います。
724.五つの力
2023.01.29
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キャリア論の学者、米国の、ジョン D.クランボルツは計画的偶発理論を提唱しました。その中に、五つの力というものが示されています。
五つの力とは、
・好奇心
・持続性
・柔軟性
・楽観性
・冒険心
とのことです。
好奇心を旺盛に持ち、好きなことを続ける持続性も重要です。
状況の変化に対し、怒らず、腐らず、ピンチをチャンスに変えて楽しんでいけるような柔軟性、そして、何とかなるだろうと楽観視する、楽観性、課題にチャレンジする冒険心、いずれも大事なことのようです。
思えば、私自身最近、少し、冒険心というか、しっかりやりきる所まで詰められていなかったなぁと反省していますので、もう一度、五つの力を発揮して行くにはどうしたら良いか考えてみたいと思います。
ゆっくり、自分の今後を考える時間を持ち、悲観的になりすぎず、前向きに考え、そして、行き詰まったらよく寝る、ということも大事なのでしょう。
休息すべき時にはしっかり休息し、五つの力を発揮できるようにして行きたいと改めて思いました。
723.麦踏み
2023.01.28
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麦踏みという作業があります。
芽吹いた麦を、農家の方が目を潰して踏んでいくのです。
一見とてもひどいことをしているようにも思います。
しかし、その作業は本来不可欠なもので、麦踏みをすることによって、麦はしっかりと根を張り、霜にも負けぬようになります。害虫に負けぬように育ち、実を結びます。
私がこの作業を知ったのは、中沢啓治の漫画、はだしのゲン、だったと思います。
最近では、尊敬するスーパー校長先生の森万喜子先生もスピーチで使用されているようです。
仕事などで、しんどい時、理不尽なものとか悪意に基づくものでないのであれば、一旦麦踏みをされている時期と考えても良いのかもしれません。その間、辛抱強く根を生やし、頑丈な自分を作り上げる時期と捉えることも出来ます。
もちろん、病的に鬱っぽくなった場合などは精神科や心療内科など私共にご相談頂く必要があるのですが、伸びゆくチャンスだと捉えられる内は、力をためていくのも良いでしょう。成長につながる辛抱であれば、麦踏みの時期だ、と考えることで乗り切れることが出来るかもしれません。
722.ウグイス
2023.01.27
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早いもので、もう里にはウグイスが来ているようです。まだ1月です。
この時期だとまだホーホケキョという恋の鳴き声はしません。まあ、考えて見れば、春だけ居るわけではないはずです。
雑食性で、冬は温暖な地域に移動することもあるようですが、住宅地に現れることもあるようです。
視覚的にウグイスを視認できただけでも、良かったなぁと思うことにして、いつ、ホーホケキョが始まるのかな、と今から春の訪れを楽しみにしています。
721.友達100人?
2023.01.26
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一年生になったら、友達100人出来るかな、なんて歌があります。
よく考えてみれば、まだ世の中について十分理解していない子供達に、割と無理な希望を持たせているんじゃないかと思います。
小学校、中学校、高校、人によっては専門学校や短大、大学、大学院などに行くと思うのですが、友達が100人出来たことってあったでしょうか?
気の合う人、合わない人がいるわけで、また、嫌いじゃないけど好きでもないとか、嫌だとは思わないけれど一緒にいたいわけでもないとか、色んな距離感があります。それぞれそれで良い、ということを教えてもらいたいものです。
私自身、田舎の小学校の出身で、国立大学に行ったのは3人しかいませんでしたし、家庭の文化とか色んな面で合う人は少なかった気がします。今でも付き合いがある人は結局1名程度ですし、中学校時代の友人になるともう少し増えますが頻繁に連絡する人はいません。
友達なんて沢山必要ないし、気が合うと思う人がほんの少しだけ居れば良い、というものではないでしょうか。
友達と思っていた人もお互いの成長によって住む世界や考え方の方向性に相違が開いてくる人もいますし、成長したことによって新しいコミュニティの人と仲良くなることもあります。
自分の特性に多少目をつぶってくれたり、相手の瑕に寛容でいられたり、それで尚且つ、話していてお互い興味深いと思えるのなら友達を続けて良いのではないでしょうか?
友達の数は、別に人生がそれで査定されるわけでもありませんから、あまり気にせず、気の合う人を大事にして、気の合わない人も衝突や摩擦を起こさないように気をつけておけば良いように思います。
720.恕
2023.01.25
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恕という字は好きな字の一つです。
思いやり、という意味のようです。
論語の衛霊公に、
「子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也」
とあります。
この字は思いやり、という意味があるため気に入っており、子供の名前に使おうかと思っていたのですが、名前に使えない漢字じゃないかと思って諦めた経緯があります。諦めた後にどこかの看護師さんに、この字で「なお」さんと言う方がおられたのを発見し、あ、使えたんだ、使えば良かったなんて思ったこともあります。
心療内科・精神科の仕事をしていると、常に思いやりの気持ちが必要なので、今日もこの「恕」の字の精神を活かして、皆様のお話を伺わせて頂こうと思います。
719.人が人に触れるということ
2023.01.24
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
医師があまり患者に触らなくなった、と言われるようになって久しいかと思います。心療内科医としては、心の面も体の面も大切にしています。心身医学の先輩からその重要性を学んできたことは当然ではあります。しかし、福間病院の顧問として長く教鞭を執られ、その前は福大教授、精神分析の権威だった西園昌久先生は、精神分析というツールを持ちながらも、医師として患者に触れて診察することを教えてくれました。分析の権威の精神科医でも身体所見や触れる診察を大切にしているというのは、直に教わってみてとても新鮮でした。
画像診断技術が高まり、CTやMRIを撮ればたちどころに異常所見が分かる便利な時代になりました。
しかし一方で、肩の凝りであるとか、肋間の柔軟性が悪化しているだとか、関節の可動域が緊張によって変化しうるなどは、実際に触って、また触りながらリラクゼーションの指導を入れたりして始めて分かることもあります。
最近は、何かとハラスメントという言葉が横行するため、他人の琴線にも、体にも安易に触れない風潮になり、まるで「触れないことが良いこと」であるかのようにすら感じられます。
果たしてそれで、私達は正しい方向へ歩んでいるのでしょうか?
もちろん、無許可に触ることはいけませんし、不愉快な触れ方もいけないでしょう。
しかし、私は思うのです。だからといって触ることが良くないとか触れないことがより良いというのは違うのではないかと。
むしろ、許可を取り、尊重的な態度で、確かな技術を持って触れていく。そして、相手に触れる時の思いやりのある触れ方、技術のある触れ方、というのを、技術を持つ人が後進に正しく伝え、ゆっくり、やさしく、丁寧に触れていくようなことが家族や恋人の間で当たり前になっていく方が、望ましいのではないでしょうか。
触られたくない時にまでベタベタする必要はありませんが、触れた方が良い時、触れるべき時に、きちんと触れていく、ということの方がむしろ大事ではないかと思っています。
718.逃げ足
2023.01.23
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
座る時に、踵を上げてつま先を地面に着けて座られる方がいます。
その時の体調や気分にもよると思うので、一概には言えないかもしれませんが、面接の時この姿勢でおられる方は私は注意して拝見するようにしています。
ボディートークという身体技法では、この姿勢を逃げ足と言っています。
逃げ足の状態の方には、病名の告知や、手術や処置の説明といった、難しいことや、受け容れがたいことが、私の経験上、入って行きにくいという印象です。精神療法を行う時は、受容したり、傾聴したりして行きながら、だんだん足元が落ち着いてくるのを待ち、逃げ足が収まった所で向き合う話をするように心がけています。
それでも逃げ足の方には、きっと逃げ足でいたいのだろう、という状態を尊重します。
逃げ足、に気づいて、あ、逃げ足だったのだ、という気づきから向き合い始めた方もおられました。
皆様も面接の時、自他の足元に少し心を配られてみてはいかがでしょうか。
717.要求水準
2023.01.22
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
鬱になりやすい方々を多く拝見しておりますと、いくつかの共通する特徴があります。
その一つに、自分や周りに対する要求水準が高い、もしくは、高すぎる、ということが挙げられるのではないでしょうか。
目標を高く設定するのは成長のために大切なことかもしれませんが、それを段階的に区切って一歩ずつ進められれば良いのですが、高すぎる要求水準を達成できずに自己批判をしてしまうようだと鬱の始まりになってしまいます。最終目標が高い時こそ、足元の一歩から小刻みにすることも大事です。
また、家族だけでなく、職場の上司・同僚・部下であったり、やり取りのある相手方にも高すぎる要求水準は摩擦の元です。あまりに高い要求水準を突きつけてしまうと、こちらより弱い立場の人は抑うつ的になりますし、強い立場の人は反発したり、言い訳したり、話をすり替えたりと違う諍いの元になります。
色々と上手く行かない時、要求水準が高くて、自分自身や、相手方を承認しづらい状況になっていることはないでしょうか。
もし思い当たる節があれば、要求水準、ということに関して、緩和するなり段階的に区切るなり、相手のやる気や賞目標を承認するなり、少し柔らかめに工夫して頂いてはいかがでしょう。