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1084.俺はすごいという人間

2024.01.31

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 成功をつかみ取るために、弱気に陥りがちな自分を鼓舞するために、俺はすごいんだ、自分はすごいんだ、と自宅で自分に言い聞かせるのは、誰も聞いてないですし、良いんじゃないかと思いますし、むしろ推奨しても良いでしょう。

 しかし、他人様に俺はすごいと言い出すことには色んな問題があるでしょう。

 まずは、本当にすごいんだろうかという純粋なスペックの問題です。
 そして、スペックが高かったとしてそれを公言することの是非があります。
 順に紐解いていきましょう。

 そもそも、本当にすごい人は俺はすごいと言いません。

 大谷翔平選手しかり、藤井聡太八冠しかり。

 だいたい、超一流の選手に限って、謙虚と相場が決まっています。そういう人達は将棋の神様と比べたら足りないとか、究極理想と戦って一流の場にいるために、傲慢になりようがないのです。つまり神様の尻尾みたいなのが見えかけている人は、偉そうなことは言いません。

 ですので、俺はすごいと言いだした人は神様の尻尾が見えなくなっている訳ですから、本質的な究極の強さには至っていないとアセスメント出来るでしょう。その時点で二流と確定出来そうです。
 
 スペックが実際に高かったとして、それを公言することはどうなのでしょう。
 まず、実際に高かった場合、嫉妬ややっかみの対象になります。人の恨みなんて怖いものですから、自分を世間で泳ぎにくくするだけです。優れていない人は優れているに俺優れている、と言われると反論も出来ませんから、面白くない陰性感情を相手に持たせるでしょう。単純にそうなんだ、すごいですね、と真っ白に受け容れてくれるファンにそれを言ったとして、だから何?と言うことになります。
 傲慢に肥大した自我が漏れ出たのか、何らかの鬱屈した感情が、俺すごいという形で発露したのか。

 人が、俺すごいを言いだした時、売り込み的な側面がある可能性もあるかもしれません。その人とお金や信用のある取引をする場合、少し綿密に調べてみることをお勧めします。よく調べてみると、前職は退職ではなく解任だったとか、降格後の自主退職だったりとか、労働基準法を守らない条件を提示してきたりだとか、ガイドライン違反的なことを公言してたりだとか、ちょっとおかしなことはありませんか?詐取目的の売り込みや、過大に自己を大きく見せる狙いがないでしょうか。

 天才と何とかは紙一重なんて言いますから、本当にすごいのかもしれませんが、俺はすごいと言い出す人物が現れた時、少し過去や身辺を洗ってみると何か分かるかもしれません。
 

1083.007は二度死ぬ

2024.01.31

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 昔の映画に、「007は二度死ぬ」なんていうのがあり、それに習ってからルパンは二度死ぬとか仮面ライダーは二度死ぬとか言う作品もあるようです。死ぬのは1回なので、二度というのはきっと1度目が偽装だったりするわけですが、人の論理に玖悦チョンマークを与えつつ、何だろう?と興味を持たせる上手いキャッチコピーかもしれませんね。

 この映画は結構古くて日本の諜報機関のボスが丹波哲郎さんだったりして、スパイは忍者とか、おいおい、と言いたくなる設定もあるようなので機会があったら笑いも兼ねて見てみたいものです。

 ジェイムズ・ボンドだけではなく、時に人は二度死ぬのかもしれません。

 信用を失う時、大きな嘘がばれる時、それまでの地位や名誉を失った時、ある意味そのポジションでいるその人は死んだものかもしれません。

 精神的な死、ポジションや信用の死、は実際の生命が維持されていれば、新しい生き方や新しい信用を築いていくことも出来るのかもしれません。

 ああ無情のジャン・バルジャンも囚人から市長になりました。囚人としては一度死んでいるからこそのストーリーと言えましょう。

 大きな裏切りを知り、怒りとも悲嘆とも付かぬ気持ちを抱いた時、その人はあなたの中で「亡くなった」のかもしれません。そして、命の火が消える時、人は二度死ぬというのでしょう。

1082.葛飾北斎

2024.01.30

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 葛飾北斎は好きな画家です。
 第2診察室にも、代表作、富嶽三十六景神奈川沖浪裏のレプリカを飾っています。

 どこであったか、北斎展があったので、家族と見て参りましたが、歴史的天才であると同時に、人間的には結構ダメな人だったらしく、30回以上引っ越しただとか、娘さんに、父は約束を守らない人だから、家に置いてある絵だけでも買っていった方が良いなんて画商に勧める話もあり、口約束はするけど履行しないなんて日常茶飯事だったようです。

 そういう人っていつの時代にもいるもので、絵など、特定の分野では他の追随を許さないほど天才性を発揮するのに、プライベートはてんでダメなんて人はいますから、そういう人とのお付き合いの仕方は、自分が無用に傷つかない、でも、天才性のおこぼれは頂けるように、温かい交流を持つ、というなかなか難しい距離感を迫られます。

 最近そんな体験を聞いたことがあり、ふと浮かんできたのは、葛飾北斎ってそういう人だったよな、と言うアイディアでした。

 ああ、なるほど、葛飾北斎と付き合うと思えば良いのかと。

 絵を描いてもらうために機嫌は取る、飲みに行く時はもう奢ってやるものだと出費については諦める、口約束の類いは最初から守られないと思っておく、不履行はデフォルトなので一々怒らない、とかでしょうか。

 人間的にダメでもすごい天才、な方がもし周りにいらしたら、葛飾北斎と付き合うようなものだと割り切っておきましょう。
 

1081.あの人は亡くなった

2024.01.29

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 人の人生とは紆余曲折、悲喜こもごもがあるものです。
 人は齢を重ね、時に成長し、時に劣化します。

 私も膝も悪いし、腰も痛めました。腰は治ったのですが、自転車に乗るな、膝を曲げて負荷を掛けてはいけないと言われて、今ではあまり階段も使えません。1~2階分上り下りするくらいは出来るので、痛くない程度に使っています。

 性格や行動の面でも、より謙虚さを備えていったりより寛容さを深めていったりする人もあれば、より先鋭化したり怒りっぽくなったり傲岸不遜になったりする人もいます。

 そうやって経年変化を見ていくと、あの頃はとても良かった、と思えていた人が、この所は恩を仇で返してきたり、配慮に無理解だったり、注意を聞き入れようとしなくなったりと変わってしまったと思うことがあります。

 そういう場合は、一度は注意するかもしれませんが、聞き入れない、と判断した時点で、それ以上言えませんし、まして先輩や師匠、目上の人には、上申するにも骨が折れます。そういう時は、精神的な意味で「あの人は亡くなった」と意味づけることにしています。

 そうすることで熱くなって関わるのをもう止めて、自愛して、あまり被害を受けないようにしておくのです。被害を受けることがなければ陰性症状も拡大しないので、むしろ、好きな面や尊敬する面があるのであれば、その気持ちを損なわない工夫とも言えるでしょう。

1080.プライベートな時間はプライベートな時間に

2024.01.28

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 もう寝ようかという時に直撃電話してくる人とか、今は大分少ないとは言え、いませんか?

 何か話したいとか愚痴を聞いて欲しいとか、寂しいとか、理由はあるのでしょうが、今の時代、SNSも発達しているので、親しき仲にも礼儀ありというか、通話したい場合は予め都合を聞いたり合わせて置いたり、直接話したいにしても一回、メッセージ等でお伺いをするのが丁寧かとは思います。

 古い人になってくると、構わず直撃の方が御本人にとっては早いですからね。

 プライベートな時間に、相談事をされるのは、私自身はストレスを感じることがあり、よほどの緊急や親友であれば相手をしないこともないのですが、相談事を受けた後は、残業したようなかなりの疲労感になります。

 そういう人に限って、当方側のきつさを慮ることが出来なかったり、きちんと御礼を言えなかったり、自分の都合で怒り出したりするので、受ける側は人の気も知らないで、と憤慨したり徒労感を得たりします。

 多少の相談に乗るのはお互い様として、ある程度を越えてきたら、専門家に任せるようすべきですし、家族等、関わるべき人が関わる問題になります。御礼を言えない人や、水面下での調整に気づかずに怒り出す人は、親切にしても骨折り損のくたびれもうけになるばかりなので、そっと距離を置くことになるのかもしれません。

1086.1本の釣り竿

2024.01.27

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 私は釣りの経験がほとんどありません。山の子だったこともあるし、あまり外に出るのが得意ではなかったこともあります。親があまり釣りのことを知らなかったこともあるでしょう。
 そういう訳で釣りと言えば鱒の釣り堀なんかで、腹を空かせに空かせた鱒を釣り上げる、なんていう、釣り人からはそんなものは釣りではないとお叱りを受けるレベルの経験しかありませんから寂しいものです。どなたか釣りを教えて上げるという人があったらぜひお連れ下さい。本当はやってみたいんです。

 まだ震災の前の頃、学会の合間に福島の海岸で釣りをしたことがありました。
 学会から帰った後も釣りを教えてやるなんて言うもんだから3万円の釣り竿を買ったんですよね。

 おそらくその公園は津波で流されてめちゃめちゃになったと思いますがその後訪れる機会もないので分かりません。

 結局、その仲間からはその後釣りのお誘いは一度もなく、まあ自分からお願いすべきだったのかもしれませんが、素人は素人で0から教わるのが申し訳ないなんて思うので、私にはそういう勇気もなく、狭いマンションに長く置いておいてもしょうがないので、釣具屋さんに持っていけば古い竿として引き取りもあったのかもしれないのですが、いつだったか燃えないゴミとして出してしまいました。その際に知ったのは、その場のノリの口約束はあまり当てにしない方が良い、と言うことでした。その後もその人とはたまに会うのですが、軽く発言したことは覚えていないタイプだと思い、軽い発言はどうせ嘘になると思って真に受けないことにしたら、だいたい実現しませんでした。釣り竿の学びは、それなりに収穫にはなりました。でも、釣り竿を買ったら本当にやりたいことは、対人の学びではなくて、魚釣りです。

1079.ダメな人は相手にしない

2024.01.27

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 診療に於いては、弱っている方や行動を時制しづらい方については、いくらでも寄り添って支援して参ります。

 ダメな人は相手にしない、というのは、日常生活における知恵としてです。

 先日も高級車が私の後ろを軽く通り過ぎて、時間進入禁止に入っていきました。あら、入ったらいけないのに、なんてつぶやいていると同乗していた人から、ダメな人は相手にしない、と諭されました。袖振り合うも多生の縁とは申しますが袖も振れていないダメな人に一々腹を立てていては、確かに生活がイライラしたものになります。

 ましてや自分にお月謝もくれない他人様です。
 それを関わっていってどうこうさせよう、というのは時代劇のテンプレとは言え、紋所や桜吹雪でもない限りなかなか難しいのではないでしょうか。御老公にも助さん格さんだけでなく、時にお銀や彌七も助けに入るわけでして。前の副将軍でもない限り、そんなに潤沢なガードマンはいませんから、個人で生きていく際には腹立たしいことがあっても、ダメな人は相手にしないでおこうとサッと通り過ぎるのが良いのかもしれません。

1078.新しい命

2024.01.26

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 最近、知り合いの若手のところに次々と赤ちゃんが誕生したり、当院が都市部にあることもあり、妊婦さんが非薬物療法を求めてこられて、その方々がご出産されたり、と新しい命の誕生に触れさせて頂くことがあります。新しい命は、生命力に溢れ、成長を感じることが出来るので、エネルギーがもらえる気がします。
 
 赤ちゃんが生まれたら生まれたで、生活リズムにせよ、使う物品にせよ一新されることは良くありますから、軽い躁状態になっている両親や祖父母も含め、不慣れな生活に突入していくことになります。

 それでも赤ちゃんからもらえるエネルギーを元にみなさま頑張られていることだと思います。

 新しい命を常に喜んでいけるよう、日々の診療にも力を注いで参りたいと思います。

1077.赤い矢

2024.01.25

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 イタリアの特急はFreccia rossaと言い、デザインの得意な国らしくかっこいいフォルムをしています。
 最近は、ミラノ市の地下鉄が日本製になったそうで、先頭はガラス張りの無人、ホームドアもあり、欧州の信号システムに順応しながら、都心と空港を12分で結ぶそうです。
 自家用車で30分以上、バスならもっと、渋滞があれば更に読めないという状態が、電車で12分というのは画期的でしょう。

 ほとんどが日立製なんだそうです。

 イタリアでは今後、時速350km/hで運転する超特急も考えているそうで、日本の鉄道インフラの輸出が成功しているようです。

 イタリアは、自分がイタリア好きだからって訳ではありませんが、新型戦闘機も日英と共同開発ですし、日本の技術を信頼してくれている国という印象があります。イタリアの地下鉄は、日本の技術にイタリアのデザインが入り、とてもかっこよかったです。福岡市営地下鉄も、最新のデザインにしてくれたら良いのに!

 いつかイタリアに行ってみたいのはオカリナや音楽、美術や遺跡もそうなのですが、移動も楽しめそうとなると、現地の公共交通にも期待です。日本と違って落書きが落としやすい塗装というのも、お国柄と思えました。

 イタリアの電車事情、興味深いので良かったら調べてご覧頂ければと思います。

1076.慢心

2024.01.24

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 サッカーの日本代表は先日、イラクに2-1で配線し、10連勝で止まっただけでなく、次負けると決勝のノックアウトステージに進めないというリスクまで背負う羽目になりました。勝ち上がったとしても2位通過では、韓国やイランと言った、アジアでは一筋縄ではいかない競合と当たる茨の道が待ち構えており、1位通過して決勝で韓国を叩けば良いというプランは根底から崩れたことになります。

 私はサッカーの指導者でも専門家でもありませんが、サッカーとは非常に面白いスポーツで強い方が勝つのではなく、勝った者が強いのだという論法の成り立つ集団スポーツです。

 簡単に言えば、日本選手には球際を追い詰める獰猛さが足りなかったのではないでしょうか。

 そういうメンタル面での慢心というのは非常に難しいものです。

 決勝を義務づけられるくらいの実力の代表である、ということと、楽勝に優勝出来る、ということは別なのです。

 将棋のような個人頭脳スポーツですと、羽生永世七冠にせよ、藤井竜王名人にせよ、簡単な試合などない、次の一局、次の一手に集中するのみだ、という非常に達観した見解を述べられます。サッカーの場合、集団スポーツであるがゆえにその自覚が芽生えにくいですし、そういうメンタルの引き締めや戦略的なシステムや戦術の更新を行うのが監督の指導と言うことになります。

 森保監督にも選手達の間にも、イラク戦に於いては慢心があったことは誰も否定出来ないでしょう。

 アジアに於いて簡単な国などないのはドーハの悲劇を経験した森保監督にはとうに分かっていたはずです。
 それをきちんとチェック出来なかったのは、監督が最終責任とは言え、選手、コーチ全員が認識が甘く、つまりは、慢心に陥っていたと申すべきでしょう。

 逆に言えば、裏街道は韓国やイランに苦労するかもしれませんがそれも自業自得と言うことであり、それでも優勝しなければならない、という原点に立ち返り、日本代表は息を吹き返してもらいたいものです。

 私共も、狎れた業務の端っことか、ルーティンワークの中に、どこかに慢心を潜ませていないでしょうか。

 慢心こそ、致命傷へのきっかけであり、敗北への第一歩なのです。
 準備、調査、作戦立案、当日現場のいずれに於いても萎縮はいけませんが慢心を排除し、敵チームをリスペクトし、正確な分析の上での方略を用いるべきでしょう。

 今の監督とメンバーであれば、逆境をひっくり返して、優勝にたどり着いてくれるのではないかと、個人的には期待しています。

地下鉄七隈線「六本松駅」徒歩5分