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1144.ネモフィラ

2024.03.31

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 海の中道海浜公園には青いお花のネモフィラが咲いているとのことで、少し行って参りました。

 花言葉は「どこでも成功」「可憐」「あなたを許す」です。 まさに「可憐」で可愛らしいイメージのネモフィラですが、厳しい環境でもぐんぐん育っていく丈夫な一面もあり、そんな特徴から「どこでも成功」という花言葉がつけられたそうです。

 やっぱり、成功していくためには人を許すところからとか、可愛げも必要よね、などといろんなことを連想してしまいます。

 季候も良く、桜も咲き始めでしたので、お茶の振る舞いも頂いて帰って参りました。
 元気な親子は自転車のレンタルも受けていたようです。

 もし良かったら海の中道まで足を伸ばして頂いてはいかがでしょう。

1143.採集活動

2024.03.30

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 人間の採集活動は、常に仲間の食欲が反映されているという点で類人猿のそれとは異なると言われています。具体的には以下の4点が挙げられます。

1.自分の必要以上の食物を採集し、
2.それを仲間の元へ持って帰り、
3.仲間と分配し、
4.一緒にそれを食べる

 人間はこのそれぞれの過程で、自分の食欲を抑制しなければなりません。当たり前のようでも、この抑制は人間以外の霊長類には至難の業なのだそうです。これが可能になるためには、採食活動を社会活動として評価し直す必要があります。このような採集活動は、仲間への期待と信頼なしには行い得ないわけです。

 そう思えば、配送業などは人類でないと出来ない社会的な作業と言うことになります。本当の猫やペリカンには宅配は出来ないと言うことなのでしょう。

 ネット通販で色々便利に届けてくれる宅配業の方にも、人類だからこそ出来る抑制を発揮していると思い直し、もう少しリスペクトの気持ちを高く持ってみたいと思います。

1142.戦争は本能ではない

2024.03.29

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 第二次大戦の暗黒が終わった時、勝った方も負けた方も、殺傷の多さという暗さに苛まれました。
 そこに光を投じたのが戦争本能説といいます。
 戦いは昔から人間とともにあり、究極の平和解決の手段とする説です。この説は戦争を肯定するような考えに導き、犠牲者の痛みを思う気持ちを軽減させました。
 しかし、霊長類学者の山極寿一先生によれば、それは間違っているのだと言います。

 700万年前に人類は、チンパンジーとの共通の祖先と分かれました。以後、人類の祖先はゴリラ並みの小さな脳で植物性の食物を採集していたと言います。脳が大きくなり始めるのは200万年前で、狩猟具としての槍が出てくるのが50万年前と言います。現代人、ホモサピエンスは20万年前からの出現で、それまでは集団猟で大型の獲物を捕らえることは出来なかったようです。つまり、狩猟は人類進化を牽引したエンジンではないというのです。

 集団間の戦いの証拠が出現するのは約1万年前の農耕の出現以降であり、日本では弥生時代からと言います。そんな短い期間に戦争本能などという性質が遺伝的に定着するわけがないから、戦争本能説は根本的に間違っているというわけです。

 人間の戦いはつい最近まで類人猿と同様に性的なトラブルに発端することが多く、未然の抑止や第三者による調停が可能だったと山極先生は考察しておいでです。

 ネイチャーという有名な雑誌に投稿された人類学者ゴメスの論文によりますと、前哺乳類の80%の科を対象として、種内暴力により死亡した割合を系統比較したところ、哺乳類全体では0.3%であり、霊長類とネズミやウサギの共通祖先になると1.1%、霊長類とツパイの共通祖先になると2.3%に上昇します。跳ね上がる理由は霊長類が集団で連合を組んで暮らし始めたためと言います。
 類人猿の共通祖先では1.8%、ホモサピエンスの祖先も2.0%と他の霊長類と変わらないのに、新石器時代になると急上昇し、特に3000年前の鉄器時代以降は15~30%にも上ると言います。

 この結果は、人間の暴力や戦争が新石器時代以降の文明によって極端に増加したことを示していると言います。つまり、人間は暴力を用いて平和や秩序を作る動物ではないわけで、私たちは戦争本能説を唱える政治家にそれを利用されないよう、目を光らせている必要があります。

 この興味深い記事は、「ゴリラに学ぶ男らしさ」(山極寿一著:ちくま文庫)の一部から抜粋して紹介させて頂きました。

1141.逆張り

2024.03.28

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 表面的な話しか出来なかった、なんて振り返る人がいます。
 しかし、面白いもので、表面的な話は案外表面的な話ではないことがあります。

 身の上話は、身の下話、なんて言いまして、自分の身の上の話をした人は、下半身事情が動いていたりします。すなわち、異性関係等。
 逆に、身の下の産業に関与する人が、親しくなると身の上の話を始めるなんて話もよくあります。

 宮城谷昌光先生の小説の呉漢だったのではないかと思うのですが、上を見る時に、地面を見つめてみよというような教えの下りがあったように思います。上昇志向の人こそ、足下を見つめ直せと言うことです。

 内面の話を避けてネイルや服飾の話をしていったら、それは実は、おしゃれという意味で女性性であったり、能力や攻撃性(爪を隠す・爪を立てる)であったりと案外無意識的なところを顕わにしますから、上と言えば下、表と言えば裏、浅いと言えば深いなど常に話題には逆張りの部分があるものだと思っておくと、お話を伺う面でも豊かな聞き方が出来るのではないかと思っています。

1140.ゴルゴ13の名言

2024.03.27

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 さいとうたかをさんはゴルゴ13、雲盗り暫平、鬼平犯科帳、仕掛け人・藤枝梅安など青年誌に大人も読める劇画を確立した人です。多くの作品が魅力的なのですが、分業化を進めたことでも知られており、チーム制で作品を作り上げることにより、さいとう死すともゴルゴは死なず、という状態で、なんと原作者没後もゴルゴ13は今もビッグコミックに連載しています。

 その中の名言に、
「女からすれば、男は単なる衣服のようなものだ。気に入らなければ着替えをすればいいだけだ」

 なんてのがあります。

 まあ、もう知らない、と一旦思ってしまうと女性の方が切り替えが早かったりするのですが、衣服のようなものだ、とはすごい表現だなと思いました。傷ついたり思いがあれば、服を着替えるように忘れられないかもしれませんし、女性からすれば、ゴルゴは分かっていないというご意見もあるのかもしれませんが、実際の所はどうなのでしょうね。

 いずれにしても、終わった相手のことは引きずらないで切り替える方が良いことは言うまでもありませんが、ゴルゴ13の名言が言うように出来るかは、私にも分かりません。

1139.ハゲタカ営業

2024.03.26

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 ブログを見たので本にしないかと、大きな出版社から声が掛かりました。
 聞いたら、ゴーストライターに書かせてチームを組むので1000万円寄越せという、ハゲタカ営業でした。

 近所の有名な医師が以前本を送って下さったことがあり、立派なものだと思っていたらそういうことなのか!
 こういうことが分かると、この先生もご自分で執筆しておられないのではないか?と思えてしまうから社会の裏側を知るというのはちょっと怖いことかもしれません。

 それにしても、ブログの内容が出版に値するのなら、自費にそんな値段をふっかける必要はありませんし、ゴーストライターに書かせないと読むに堪えない文章を書くと思うのなら、そもそも声を掛けるべきではありません。費用対効果を聞いてみたら集患や採用に役に立つって、おいおい。

 そもそも投資した場合3倍くらいリターンしないと労力に見合わないですから、なんちゅういい加減な試算を出してくるねん。
 1000万円なんてね、余ってませんから。開業の借金返すのにヒイヒイ言っているというのに。

 まあ、もう今後はハゲタカ営業は相手にしないことにします。でも、今回は、少し裏側が分かったので、良かったとしましょう。

1138.赤ちゃんと話す方法

2024.03.25

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 ボディートークという身体技法を今も月一習っています。
 ボディートーク協会副会長の城石明喜子先生によると、赤ちゃんと話す方法があるそうです。
 離乳食を赤ちゃんのお口に運びあーんして食べさせるようなイメージで、赤ちゃんのお口にこちらの言葉も優しく入れるとよいそうです。音が入るのは耳ではないか、というご意見も最もなのですが、離乳食をあーんと食べさせるような感じの優しさで語りかけたら良い、ということでした。

 そのような優しい態度やトーンであれば、赤ちゃんも受け容れやすいのでしょう。

 出かける時や、知らない人に抱っこさせる時も、赤ちゃんに、誰々さんの所へ行くから一緒に行ってね?とか同意が取れるように推奨されています。

 全ての人にそうやって優しく話しかけられたら素敵だろうな、と思っています。

1137.骨壺

2024.03.24

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 最近は、色々な宗教が容認されていますから、新興宗教もオウム真理教ほど攻撃的なテロをしない限りは、かなりの範囲で寛容に受け容れられているようです。その辺はさすがに八百万の神が住まう日本、聖おにいさんのように、立川市のアパートにシッダールタとイエスがルームシェアしていても許されてしまうようです。

 宗教寛容は、古来から有る日本の優れた文化であり、十字軍やらガザやら宗教的な相違が生み出す殺戮(そればかりが原因ではないのかもしれませんが)というものは枚挙に暇がありません。

 それと同時に、信仰心が薄れることはまあ仕方のないことかもしれませんが、公徳心や道徳観が損なわれていくと少し良くないかもしれません。
 特に現代は死を忌避する傾向にあります。

 しかし、死は忌避したり隠したりしてもどうしようもなく、必ず訪れてくるものなのであり、むしろ、日常的に死とは何かを考えることは生とは何かを考えることにつながると思っています。

 なかなか治らない患者さんに、親族やペットの骨壺が家にないか、時々伺っているのですが、割と結構出てきます。
 骨壺は最低でも仏壇ですが、自宅におくものではありませんし、テレビの下なんかが割とよくあるのですが、これも良くないので止めましょう。

 骨なんかカルシウムじゃないか、と割り切れるならまだ良いのですが、人骨になると、勝手に埋められませんし、散骨するにも役所の許可を取る必要があります。確かに我々の骨は、一部はおじゃこだったでしょうし、一部は牛乳やヨーグルトだったかもしれません。古代は恐竜の骨だったかもしれません。
 しかし、親族の骨となると、どうしても「その人の骨」と思ってしまう情念が沸いて参ります。

 納骨はそのうち、と思っていても家に置いているだけでも、その人の骨がそこにある、死がそこにある、というのは自分自身のお迎えを早めることになりかねません。自分の宗派のやり方で良いので骨壺は家に持ち込むことなく適切に処理しておきましょう。

1136.盲亀浮木

2024.03.23

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 もともと、ありがたい、ありがとう、というのは有り難い、から来ています。
 つまり、有ることが難しい、なかなかない、ということで、稀少で貴重だというようなことから、有り難いとなり、そこから感謝を示す言葉に転用されているようです。

 盲亀浮木というのは、前段で述べましたように、釈迦が阿難に伝えた伝承の中で、海には盲亀という、目の見えない亀がいて、100年に1度、息をするために浮上してくるのであるが、その目の見えない亀が、枝の穴みたいなところに針に糸を通すように首を突っ込むことが出来るであろうか?
 という問いになります。
 まあ難しいだろうが、ということですが、この伝説上の亀には寿命がないらしく、100年に1度の浮上であっても、100万年ちゃんすがあれば1万回チャンスがあります。まあ、出来ないことはないんでしょうか。

 ところで、亡父の師匠筋の高僧が、非常に感謝していると言うつもりで、相手方に、盲亀のありがたみ、という風なことを申し上げたそうなのですが、難しい言葉は解釈が分かれるようで、聞いた側は、(私が親切にすることは)「そんなに珍しいことなのですか?」と臍を曲げてしまったのだとか。

 とってもありがとう!と言いたいだけなのであれば、あまり難しい言葉を使わずに素直にありがとうといった方が誤解がなくて良いようです。

1135.人身受けがたし

2024.03.22

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 修身で有名な森信三先生の教授録にも、人身受けがたしの話が出てきます。
 元々は、釈迦が弟子の阿難に、「人身受けがたし、今已に受く」という話をしたと言うことから来ているようです。

 世の中には数多の生物種がおり、個体数になればとてもたくさん居るわけですが、その中でも、霊長類である、自分で考える能力のある人間に生まれてきたことは、とても貴重でありがたいことである、というような意味です。

 そのありがたさは、レアという意味で盲亀浮木の例えなんて言われるわけですが、簡単に申しますと滅多にないことであり、今風に言えばウルトラスーパーレア、ということになりましょう。

 人間に生まれても発達障害やら、色々自己制御に困難を抱える場合もあるわけですが、人間に生まれてきたことはとてもありがたいことなんだ、という立ち位置に立てば、もう少し勉強をして見るとか、何か頑張れることもあるかもしれません。

地下鉄七隈線「六本松駅」徒歩5分