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705.上納金

2023.01.10

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 上納金、ってヤクザ映画の世界だけではなく、割と色んな所にあるようです。
 下世話な話を申しますと、私の実家の寺院も本山や地域の仏教組合みたいな所に納めるお金があったようですし、余所事ではなく、医師会費も払っていますから、私も上納金を納めている立場ですね。子供が習っていた音楽のメソッドでも本部への会費とかありましたし、色々あるようです。
 もちろん、上納金は、ケアとバーターになっており、ヤクザ映画の世界では、もめ事を親分たちが解決してくれたりしますし、医師会も、適正な医療を提供すべき助言をしてくれたりします。

 先日はある団体の上納金が結構高いんじゃないかという話を伺いました。

 先ほどから述べておりますように、適正価格という物があり、上納金制度=悪、ではないと思っています。上納した分が適正にケアされていれば、一つの契約として双方納得の行くものになるでしょう。しかし、お金が高くケアが低めというのは、上納である以上、対等な関係はありませんから、ケアは低めでも権威があるので適正だ、と上側は考えているし、ケアが低くても権威から受けられるならこれで良い、と下側が考えているでしょう。そういう、力関係によってが権威が価格化されます。

 難しいのは、神仏の前に平等を謳う宗教の上納金であったり、誰のものでもない芸術であったりする場合です。
 宗教についても、深い考察や感動を与えられる説法があるならば、それは評価されるでしょうし、芸術も、高度な技術を持つ画家や演奏家であればこそ、その技術が高く評価されるでしょう。

 いずれにしても、上納金になってしまった時にはある程度不労所得と権威付のバランスということになります。

 自分のポケットマネーで高く評価している所から技術を頂く場合は一つのお月謝として払えるでしょうが、これが車一台、家一軒とだんだん高くなってくると、それを支えるユーザーの負担ということも考えなければなりません。

 そういう時にシンプルに考えるのは、「高いと思ったら良くない」ということです。高い物が悪だとまでは申しませんし、いくらからが高いかは支払い能力によるでしょう。自分で自由になるお金で支払えないもの、それは、善とか悪とか論じる前に、支払い能力を越えた物は払わない、というのが原則です。それが守れていれば、某宗教団体の過剰なお布施もなかったと考えられます。
 リターンが曖昧な所に支払いをする場合、対象が好きだから、応援したいから、支払うのか。リターンから多くの物を得られる確信があるから支払うのか?それで自分を含めて家族も不幸にならないことを確認して支払うのか?

 よくお考え頂くと良いのではないでしょうか。

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