ブログ

791.木の芽立ち

2023.04.14

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 桜も散り、新緑の目立つ季節となりました。
 様々な木や草が新芽を出し、伸びやかに伸びています。私はこの季節が一番好きです。しかし、多くの精神科で指摘されているように、この時期は、精神病が悪化したり、気持ちが動揺しやすい時期でもあります。3月4月に出会いと別れの時期だと言うことも少し関係しているのかもしれません。

 幻聴が聞こえる、周りに被害的になる、職場に行きたくない、元気が出ない、色々思い当たる方はまずは当院など専門家にご相談頂ければと思います。

790.時間を対価に考える

2023.04.13

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 真面目な方などからは、マナーの悪い他者にイライラすることがあるがどうしたら良いかと助言を求められることがあります。確かに、タバコのポイ捨てなり、人によっては平気でゴミをそのまま道などに投げ捨てたり置いていく人すらいます。
 私自身もこういう行為は感心しませんし、気分悪く感じるものです。

 例え注意することが出来たとしても、相手がすんなり非を認めて改めてくれれば良いのですが、実際には簡単でないことも多々あります。相手は悪いことをしているのが分かっているだけに、屁理屈をこねたり、威圧的にやり返してきたりと、なんだか注意した側の方が悪いかのように、感情をぶつけられることがあります。そうなると、注意した側も感情疲労を起こしてしまい、何だかとても嫌な気分になって、注意するんじゃなかったと後悔してしまうこともあるでしょう。

 そういう時は、時間や感情の対価を考えに入れてみてはどうでしょうか。

 もちろん、いかなる不正義も見過ごすことが出来ず、必ずそのような場合は、注意するのが信条だと言い切れる方にはお勧めしないのですが・・・。

 急いでいたり、そこで言い争いをすることによる時間のロスや感情疲労のロスを考えると言うことです。 

 知らない人に何かを伝えるのは気も遣うし、それだけで労力を使うので、元気にも余裕が必要ですが、もっと言えば急いでいる時はそういうことをしている暇は実はないのです。ポイ捨てするような人間に、有限である自分の貴重な時間を使うかどうかは考えどころです。スルーするのが最上と申し上げているわけではありませんが、その時の時間や労力の余裕によって、今そのことがやるべきことなのかを改めて思い直してみてはどうかと思うのです。

 そういう意味で、他者に干渉的に関わらざるを得ない時、時間を対価に考えると、感情的なイライラをぶつけるのか、そういうことに使う時間がないのか、整理が出来るのではないかと思います。

789.胡蝶蘭の開花

2023.04.12

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 開業時に頂いた胡蝶蘭がまた開花を迎えています。
 お世話が十分でないのか年々コンパクトにはなっているのですが、それでも花芽が出て、花を咲かせてくれるのはありがたいことだと思います。

 お世話になった様々な方からのエールを思い出し、今後も皆様のお役に立てるよう務めて参ります。
 どうぞよろしくお願い申し上げます。

788.一燈照隅

2023.04.11

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 一燈照隅は、戦前戦後を生き抜いた教育者、哲学者、安岡正篤の言葉です。
 伝教大師の言葉に一隅を照らすというものがあります。

 隅っこを照らすのか、という問いもあるかもしれませんが、一個人で出来ることはたかがしれており、自分の足元を照らすのが精一杯ということでしょう。WBCの栗山監督はこの言葉を大きなことを口にするよりもまず、自分がいるその場所を明るく照らす、という意味だと解説しています。

 何をやって良いか分からない時は、まず足元から照らす。
 少しでも自分の机を片付けるとか、一つずつやっていきましょう。

787.履き物を揃える

2023.04.10

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 履き物を揃えることは重要な躾とされています。哲学者の森信三は、三つの躾として、朝のあいさつ、きちんと返事、履き物を揃える(椅子を机の下に入れる)、を挙げています。
 女流棋士の鈴木環奈さんはお寿司屋さんの娘さんだそうですが、将棋道場に通う時、履き物をきちんと揃えて礼儀正しい所から原田泰夫九段に見出されて女流棋士になったとも言われます。原田九段は高潔な人格故に30代で連盟会長になったという優れた人物です。名伯楽や年長者は文字通り「足元を見ている」と言えます。
 私も疲れてくると履き物を揃えられなくなってしまうので自戒を込めてこのブログのテーマに致しました。

 自分の、脱いだもの(やり終えたことの象徴)を振り返り、きちんと整理することが出来るか。
 他の方も通行することへの整頓の美しさなど、周りに気配りが出来るか。

 履き物を揃えることはそれらの非言語的サインと捉えることが出来ます。

 ちょっと雑になりがちだった履き物、改めてちゃんとやってみようと思っています。
 何から直したら良いか分からない方は、まずは履き物を揃えることから始めて見られてはいかがでしょう。

786.流れを信じてみる

2023.04.09

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 人の集まりというものは、離合集散を繰り返すものです。
 何事にもタイミングというものがあり、流れが隆盛している時もあれば、細っていく時もあります。

 大事なのはその流れを恨んだり、怒ることなく、その流れにはその流れの先があることを信じることだと思っています。

 勤務医時代は北九州や佐賀でも研究会を開催していたのですが、極端な時には1名しかお出でにならない時もありました。
 人が集まらないと、何だかそっぽを向かれたような寂しいような気持ちになるものです。

 しかし、逆の発想もありだと思うのです。
 この人は来てくれた、とも言えます。
 では、出席の意欲のある人に自分の提供出来るだけの最大のものを提供しよう、と思ってベストを尽くしていくと、それはそれで少数精鋭なりの深い体験が出来ることがあります。
 また、ドタキャンする人、何らかの事情で欠席せざるを得なくなる人もいますが、その人が来なかったおかげでその人がいると話しづらいと思っていた他の人が口を開くこともあります。それらも大きな流れなのかなと思っておくと、アクシデントやキャンセルも、そういう流れなのだと思って捉えることが出来ます。
 海の波に逆らうことは出来ず押し返すのも人力では無理です。私達が出来るのはせいぜい、その波に乗って推進力にすることくらいです。そうであれば流れに逆らわず、むしろ流れを信じてそれに乗る方が、気分的にも良いし、より良い結果につながると考えています。

785.心田を耕す

2023.04.08

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 二宮金次郎こと尊徳の教えに、「心田を耕す」というものがあります。
 心療内科に来られる方は、心が荒れて、ひび割れた土のようになっている場合があります。

 どんな土地だって、耕しておかないと、荒れ果ててしまい、栄養不足でひび割れてしまいます。そのような状態で仲間やお客様に温かく対応出来るでしょうか。干からびそうな時は、他者に水を分け与えるよりも自分を潤すことを優先しがちになりますし、それはむしろ当然で仕方ないとも言えます。
 人様に優しくありたいならば、まずは自分が潤っていることが大切です。自らの心の田を耕すということです。

 私も上手く対応が出来なかった時は、自らの心田の耕しや潤いが足りなかったかもしれません。

 自己管理、という一言だと少し味気ないのですが、潤いや温かみを含めた自己管理として、心田を耕す、ということを心がけたいと思います。

783.躁的防衛

2023.04.07

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 辛いことや悲しいこと、腹立たしいことがあった時、みなさんはどのように対処されていますか?
 全ての人ではありませんが、世の中には辛い時ほど、忙しくして乗り切ろうという方がおられます。

 辛いことを考える暇がなくなるほど、あれこれ予定や業務を詰め込んで、バッタバッタとノルマをなぎ倒していく。対処法のことをコーピングとも言いますが、多忙にするコーピングで精神的な辛さから免れるというものです。
 このような多忙にして辛さと向き合うことから逃げる方法を、一般に躁的防衛と申します。躁的防衛は、一件生産的なようでも、あまり望ましい対処法とは言えません。まず、根本的な問題と向き合うことを棚上げしたり避けたりしているため、根本的な問題が解決するわけではありません。
 また、問題と向き合うことから逃げたまま多忙になっているためエネルギー切れを起こしやすくなります。
 躁的防衛に使っていたエネルギーが枯渇した時、そこに待っているのは本格的なうつ状態です。
 本格的なうつ状態に入ると、抗うつ薬の内服が長く必要になったり、職場も結局長く休まざるを得なくなったりします。つまり、躁的防衛の先には、あまりご本人が望まない長期休みであったり、薬物療法があるという状態になりやすいと言うことです。

 躁的防衛になりがちな方は、一度ご自身の手綱を緩め、飲酒を避けて十分な睡眠を取り、一つ一つを丁寧にこなしていくことが一番の解決です。専門家の援助が必要とお感じでしたら一度ご相談頂ければと思います。
 

782.一喜一憂しない

2023.04.06

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 落ち込んでいる状態や、フラッシュバックに苛まれている状態が良くなると、嬉しいものです。
 しかし、一方で、すごく喜んでしまうと、マイナスの波が来た時に、やっぱりダメなんじゃないかと、ひどくがっかりしてしまうこともあります。
 ご自身にあまりがっかりしてしまうというのは、治療にとっては望ましいことではないのではないかと思っています。

 ですので、ご自身の状態に対する受け入れの態度は、一喜一憂しない、というのがお勧めです。

 良くなってきても、欣喜雀躍して喜ぶ所まではしない。ああ、少し良くなったなぁで留める。
 悪くなった時も、がっかりして落ち込みすぎない。ああ、今日は調子が悪いなぁ、で留める。

 あまり、一喜一憂せず、淡々と自分の状態を観察していきます。そして、前稿にあったように、波打ちながら良くなることを想定して、少しでもよく寝て、少しでもしっかり食べていくのが良いのではないかと思います。

 治療を続けるためのクライエントのコツとして、一喜一憂しない、というのは頭の隅に置いて頂ければと思います。

781.波打ちながら良くなる

2023.04.05

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 鬱からの回復過程は、一体どのようなものでしょうか?

 何でもポジティブに考えられて、どんどんアイディアが出て来るのでしょうか?
 これに多弁、易怒性、浪費などが付いてくると、躁状態というやつで、むしろ危険な兆候です。

 心療内科で修行中、指導医の先生から、「波打ちながら良くなる」と教えて頂いたことがあります。
 基線としての全体はだんだん緩やかに上向きなんだけれども、体調や、周りの言葉などに左右されて、一時的に悪くなったりすることもある、ということです。
 一時的に落ち込んだり、持ち直したりはするものの、落ち込みの幅がひどくなかったり、持ち直すのが早くなったりと、悪い時よりマシな反応が観察されるというのです。

 当院に通院して頂いている方からも、なかなか良くならない、と言われる時、どんどん指数関数的に良くなる想定をされていることがあり、この、波打ちながら良くなる、ということをお伝えしています。
 波打ちながら良くなると考えて見ると、落ち込みの緩和や回復の早さを認めることが出来、そういう点からも良くなっていることを確認していくことが出来ます。

 多少の波があっても、良い時もあるのであれば、波打ちながら良くなる、と少しご自分の視野に幅を持たせて頂くと、楽に回復に迎えるのではないかと思っています。

地下鉄七隈線「六本松駅」徒歩5分