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444.アージョ

2022.04.24

444.アージョ

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。日々元気に営業しております。

 444稿目、ぞろ目です。

 イタリア語で、agioというと、気楽、安心、くつろぎ、ゆとり、余裕、等と言われます。
 イタリア語の前置詞は、次に母音が来る時にdを追加してaであれば、adと言います。
 気軽に、のんびりと、というと、ad agioとなります。これがまとまるとadagioという風になるのですが、adagioは既に音楽用語として、ゆっくり、静かに、ということで、アンダンテとラルゴの間のゆっくりとしたテンポを指すようになります。
 一般に、アルビノーニのアダージョとして知られている(レモ・ジャゾット作)曲は、とても悲哀に満ちていて、気楽にゆっくり聞ける感じではないのですが、テンポは確かにアダージョなのでしょう。

 当院でも、色々お困りでご相談頂く皆様に、少しでも気軽な気持ちになって頂けたらと、agioの精神で診療に当たりたいと思います。

443.バランス

2022.04.23

443.バランス

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 子育てをおざなりにしてキャリアを取るのか、キャリアを我慢して子どもを優先するのか。

 シングルやディンクス、同性婚など多様性が認められる世の中、どんなご家庭にも子育てが存在するわけではありませんが、生物として子孫を持っていく本能がある以上、世の中の一定数が子育てと仕事の狭間で揺れていることもまた事実です。ご自身が子作りをしない決断をしている人も、同僚にそういう事案があることは良くあることでしょう。

 ある著名人が一般の人からこの問いを受けて回答したのは、バランスという言葉でした。
 つまり、キャリアを優先して、子育てをおざなりにすることも違う。子育てを優先してキャリアをあきらめるのも違う。しかし、次世代を持とうと決断したのは自分。だからバランスを取る必要がある、といった趣旨だったかと思います。

 私の実家では母が専業主婦でしたから、ご飯やお風呂が定刻に出て来るのがあまりにも当たり前でした。
 実際に子どもを持ってから、ご飯は誰かが作るか買ってくるかして(何らかの労力を払って)、ご飯がそこにある状態にしない限り、「ない」のだと分かりました。妻が遅い時は自分が作るか、自分が子どもを連れて外食店に行くか、買ってきたものを分けて食べるか、ということになるでしょう。おそらく学生時代に甘い考えだった頃よりも、随分料理もするようになりました。でも、自分で好きな調理が出来ることは、とても楽しいことですし、料理の技術が上がるのも楽しめました。まあ、誰もが料理を楽しめるかは分かりませんが。

 でもまあ、何とか楽しみながら食べていこう。食事くらいは楽しい時間にしよう、と考えて私自身は家族の協力もあり、やって来ることが出来ました。先の著名人が言うようにバランスを取ろうとしたのかもしれません。

 京セラの稲盛和夫さんなどは、講演をすれば名だたる財界人がお金を払って聞きに来ますが、子どもの運動会や参観日すら行けないほど働き虫だったことは有名で、家庭のバランスが取れたのは奥様のおかげなのかもしれませんが、令和の今、多くの奥様はワンオペにさせられっぱなしはたまらないでしょう(これは対外的に夫婦の片方が極端な成功をした場合の例であって、妻が家庭を守るべきと言っているわけではありません)。

 これからの時代、自分の実力や職能と、家庭・家族を大切にしていくバランス、という概念は老若男女を問わず、すべての人に問われており、たとえ次世代を作らない家庭や個人であっても、そういうケースへの理解が必要になるでしょう。

 もちろん、バランスこそ大切なわけですが、バランスを保つための理念をお持ち頂くとより良いかもしれません。すなわち、自分は何のためにこの仕事をしているのか、どういう家庭を持っていきたかったのか。常に問い続けます。理想通りという人は滅多にないでしょうが、我慢していることが多すぎる場合は、見直しも必要かもしれません。鬱になる前にこの記事をご覧頂いた場合は良いのかもしれませんが、もし、専門家の相談が必要とお感じの場合は、私共をご利用頂いても良いのかもしれません。

442.良き刹那主義

2022.04.22

442.良き刹那主義

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 先日、林修先生の番組を見ていたら、ネガティブなことをサッと切り替えて、とりあえず、今の自分の課題に最大の集中をすることを「良き刹那主義」という言葉で表現されていました。なかなか良い言葉だなと思うのでご紹介したいと思います。

 悪しき刹那主義というのは課題から逃げて目をつぶり、例えばポテチを食べながら動画やテレビを見てしまい、単に課題先送りして何も解決しないまま時間だけ浪費するものです。
 良き刹那主義とは、悪い結果が得られたとしても(落第や大敗)、そのことは一旦忘れて、次に与えられた仕事や課題に一旦フレッシュな気持ちでしっかりと取り組む、というものです。反省は必要かもしれませんが単にネガティブになっていつまでも落ち込んでいる暇はない、と言ったようなニュアンスだったような気がします。

 失敗をやらかしても、何か問題が生じても、いつまでもくよくよしている暇はない。
 次の仕事がもらえるのであれば、それはありがたいことであり、それに集中する。それが良き刹那主義になるかと思います。
 まあこれも程度問題で、根本的な(構造的とか量的とか)問題が何も解決しないのに次から次へと案件だけが降ってくると言うのも潰れる原因になりますので、自分の力の及ばない構造的な問題や組織的な問題が大きすぎる場合は休職した方が良いかもしれません。ストレス性疾患だと判明すれば診断書をお出しすることも出来るでしょう。

 ただ、個人で範囲内のことであれば、やたら落ち込むよりは次へ集中する、と言う意味では、良き刹那主義、と言う態度はかなり良い物になるのかもしれません。

441.温かい第三者

2022.04.21

441.温かい第三者

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 人間関係の悩みというものは通常相手があるものです。
 相手の言動がひどい、きつい、態度が冷たい、等はよく伺います。
 上司などに管理能力があれば多少は改善されるのでしょうが、そうでない場合はご相談頂くこともあります。

 ご本人、対象者にも深入りせず、双方に温かいリスペクトを持った第三者が入って、事態が進み出したケースがありました。ネガティブなモードに入ると自分や対象者の悪い所ばかりを気にするようになるのですが、双方に温かいまなざしを維持した第三者が、双方を尊重した言い回しを用いると、ネガティブなものが氷解していくことがあります。

 治療者もある意味温かい第三者になれる存在ではないかと思います。
 当院の医師、心理士、看護師、相談員と色んな立場からご来談の方をサポートさせて頂ければと思っています。

440.辿り来て未だ山麓

2022.04.20

440.辿り来て未だ山麓

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 将棋の藤井聡太竜王が、自分の現在地を「森林限界の手前」という言い得て妙な言葉で表現されたのは有名な話です。何とか、「頂点」とか「何合目」、みたいな下世話な数値を引き出したい嫌らしいインタビューを、臆せず、バカにもせず、誠実に、ひたすら自分に対する謙虚さとして表現し、尚且つ、回答することから逃げていない、というのが何ともすごい所ではないでしょうか。

 藤井聡太竜王は幼少期、「名人を超す」と言ったといいます。

 王将戦で名人相手に差し込み(実際には再現されていないが制度としては差し込み制は残っていて、3連勝すると駒落ちになるという規定)を実現した棋士には、升田幸三と言う人がいます。実力制第4代名人と呼ばれる人でもあります。升田幸三元名人も「名人に香を引いて勝つ」と言い、実際に大山名人を香落ち(ハンディ戦)で勝ってしまいます。

 その升田幸三元名人の言葉に、「辿り来て未だ山麓」というのがあります。新手一生という標語を持ち、次々に新戦法を披露していった創造性もある天才升田幸三元名人。その名人相手に香車を引いて勝った人が、森林限界の手前と同じで、そこまで来ても将棋の山の麓に来た程度である、という謙虚さを示します。

 私自身は、色々資格は取得してみたものの、人の心を支えたり、変化を生み出す際に出来る技術もまた山麓ではないかと思っています。日々、精進です。
 

439.パーティション

2022.04.19

439.パーティション

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 自分の領域と他の領域を区切るものにパーティションがあると思います。
 職場のパーティションだとボードが多いでしょうか。

 考えて見れば、壁もショウウインドーも、仕切るものはすべてパーティションと考えても良いのかもしれません。

 世の中には色んなパーティションがあるわけで、ショウウインドーなどは、ガラスですから、光は通すが空気や物体は通らない。まさに、ガラスなどは触れずに見るだけ、という場合に適しています。逆にこれからの季節、風通しも必要な時は網戸などもありますね。虫は通れないけど、光も音も空気も通ります。磨りガラスであれば誰かは分からないけれどシルエットは分かるとか、障子であれば音は聞こえるし、影が見えることもあるが、姿は見えないとか。生け垣なんていうものもあります。強引に突破できないことはないけれど・・・。光も虫も空気も出入りは出来るけど人は無理しないと通れないとか。放射能を入れるものであれば分厚いコンクリートや鉛で、放射能も通さないとか。

 TPOに応じて色んなパーティションがあることが分かります。

 前稿で人間関係の距離感について申し述べましたが、相手との間に置く仕切りは、どんな材質のものが良いのか、ということも大事なことかもしれません。そうやって世の中の色んな種類のパーティションを見ていくと、用途に工夫があることが分かります。我々も距離感の中で、心のパーティションの材質や用途を工夫すると良いのかもしれません。

438.距離

2022.04.18

438.距離

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 距離というのは、対人関係で捉えた場合難しいものです。
 最近はインターネットデバイスが発達しており、遠方の人ともメッセージのやりとりも出来るため、必ずしも物理的距離=心的距離でもありません。

 私の場合、父が結構強烈なキャラクターで、早く家を出たくて仕方ありませんでした。大学合格とともに下宿をして、その後は茅ヶ崎市や福岡市へ拠点を移して物理的な距離を取りました。そういうこともあって実家の家業は結局弟がやってくれています。それはそれでありがたいことですが、弟が自ら本気で家業をやろうと決断したことはまた別の物語です。
 
 ある程度自分で職を得て切り開いていける場合は、近接すると辛い親族からは物理的に距離を取るのも一つの手だと思います。頼みもしないのに助言してきたり、口なり手なり出してくるのは困りものです。あまり強く排除すると必要な援助が得られなくなることもあるので、決定的な衝突をしないように距離を取る、というのが賢明でしょうか。

 どうしても別居等が難しい場合は、上手く接点を減らすのも大事なことです。接触の時間を減らしたり、リビング等の滞在時間を変更したりするのも良いでしょう。強く反応してくる相手は刺激をしないということもあると思います。

 人間関係において「距離感」というのは見えにくいので、難しい関係があると思った場合はその距離感を私共専門家にご相談頂いてはいかがでしょうか。

437.AED

2022.04.17

437.AED

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 一応医療機関ですので、待合室などで患者さんが急変された時などに、AEDを置いています。

 私は研修医を、茅ヶ崎徳洲会総合病院で終えました。茅ヶ崎徳洲会総合病院は今は移転して湘南藤沢徳洲会病院と名前が変わっています。当時は、日本に初めてACLSを広めた青木重憲先生がおられ、直接ご指導頂いたのは大変ありがたいことでした。毎日救急車がどんどんやってくる病院だったので、2年目になる頃はどの医師も頼もしくなったものです。

 九州に来てからもACLSのお手伝いをさせて頂いたご縁で今もつながりのある先生がおり、ありがたいことです。

 私も忘れないように時々、お金を払ってACLSの救命救急の講習を受けてアップデートしています。

 使わないで済むのが一番ですが、もし必要な時はしっかり使えたらと思っています。

 みなさんは、万が一の備えをされていますか?

436.田園

2022.04.16

436.田園

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 先日オカリナのリクエストに田園を頂きました。あ、もちろん、ベートーヴェンの交響曲はオカリナでは無理だと思うので、玉置浩二さんの、と注釈も頂いています。

 その時は、準備していなかったので、改めて楽譜を購入してみました。作曲は玉置浩二さん、作詞は玉置浩二さん、須藤晃さんです。

 さびの部分で、「生きていくんだ、それでいいんだ」という箇所があります。

 初めてこの曲とちゃんと向き合ってみましたが、生けるものへのエールになっている気がします。
 この、「生きていくんだ、それでいいんだ」というフレーズはそのままセラピーになるんじゃないかなと思っています。

 生きていること自体が大変すばらしいという気持ちで、また診察に向かおうと思います。

435.ナレーション

2022.04.15

435.ナレーション

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 ある劇を見た時に、ナレーションがないなと思ったことがあります。
 ト書きとして、いついつ、どういう状況になり、かくかくしかじかであった、という説明もなしに、あるいは説明的な導入の台詞なしに、場面転換があると、一体誰と何をしているのかという状況把握するのにかなり頭を使う気がしました。そっちに労力を使ってしまうと演技の良さに集中できなく感じたことがあります。

 また、ナレーションがあった方が良いと私が感じたのは、普段から、うまく説明できない方のお話も含めて音を主体に情報を収集しているからかもしれません。

 訥弁であっても、状況説明はしてもらった方が良いですし、音声による情報も重要なんじゃないかなと感じました。

地下鉄七隈線「六本松駅」徒歩5分