168.飛行機雲
2021.07.25
168.飛行機雲
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。 6月より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
夕暮れの帰り道、飛行機が飛んでいくのを見ました。きれいな長い飛行機雲とともに。
飛行機雲は、飛行機から噴射された水蒸気等が凍る際に出来る物です。
すぐに消える場合は、周りの空気が暖かく乾燥しており、長く残る場合は、冷たくしけっているようです。
飛行機雲によって上空の湿度や温度をある程度視覚化して予測することが出来るというので道すがら見ておりました。
しばらく残っていたので、天気は下り坂なのかしら、と思いきや5分もしない内に、飛行機雲はぼやけていきました。どうもその日は上空はとても暖かく乾燥していたようです。このブログは大体数日遅れで投稿になるのですが、実際数日後まで晴れて暑いです。
いつもブログのネタにならないかと道すがら花などキョロキョロ見ていたのですが、たまには上空に目をやってみるのも良いようです。
167.ウィリアム・ファー
2021.07.24
167.ウィリアム・ファー
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。 6月より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
ウィリアム・ファーとは統計学者で、英国で、1830年代に活躍したと言います。戸籍庁で初の「適用編纂者」として働きました。ファーは、人口動態統計、出生と死亡を記録するシステムを確立し、現在、国際疾病分類ICD-10/11として知られる疾病分類の基礎を構築しました。このデータのおかげで、誰が、いつ、どこで、なぜ死亡したかのパターンを知ることが出来るようになりました。
さらに、ファーは、データを掘り下げました。
社会階級・宗教・職業、あるいは特定の病気にかかった人の死亡率を計算し、「生命表」の先駆けを作り、特定の年齢の人がその年に死亡するリスクを示しました。
1841年3月15日に「狂人の死亡率に関する報告書」と言う研究をロンドンの統計学会で発表しました。ロンドンの狂人~当時で言う深刻な知的障害・精神疾患の人~を収容する病院の状況に、議会が関心を持つようになったことからこの調査をしたようです。
貧窮社の27%がいずれかの精神病院で死亡していることがわかり、「ペストがロンドンを空き家だらけにした時、ロンドンの人口に」示されたのと同じくらい高い死亡率である、と驚きとともにコメントしています。
何気なくICDによって書類を書いたりしておりましたが、こんなに古くから先駆的な仕事をしてきた人がおり、その集積の上にあるのだなぁと改めて思いました。
出典:ヘレン・ピアソン著 ライフ・プロジェクト(みすず書房)
166.お芋のススメ
2021.07.23
166.お芋のススメ
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。 6月より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
心療内科初診時の問診などでは、疲れやすさ、集中力低下、だるさ、などに〇を付ける所もあります。
働きすぎ、職場ストレス、睡眠不足などもその一因とは思われますが、低血糖という考えはいかがでしょう。
とても集中を要する仕事を抱えている時、朝のお味噌汁の具を芋類にしてもらうことがあります。
でんぷんは、分解して麦芽糖になり、それからショ糖になります。脳のエネルギー源はショ糖です。囲碁や将棋のタイトル戦では、おやつもよく話題になるところで、頭脳アスリート達はものすごいカロリーを脳が消費しているようです。
でんぷんは先に述べたように分解していく関係で血糖値として上がってくるのに時間差があります。
疲れをショットで治したいときはチョコレートなどで。粘りが聞くようにある程度の血糖値を時間差で維持したい場合はお芋を朝から食べておく、などしています。
疲れに対してすぐにエナジードリンク等カフェインで自分を鼓舞することがありますが、そういう対処は一時しのぎにすぎません。仕事量を調節することも大事ですが、栄養学の観点からお芋を摂って頂いてはいかがでしょう。
165.米の世話
2021.07.22
165.米の世話
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。 6月より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
過食嘔吐等の悩みのご相談の方もいらっしゃいます。
私の田舎は、大学を出ている人は医者と教師くらいしか見当たらず、周りはほとんど農家でした。
その小学校で自慢にしていたのが「学習田」という田んぼでした。もち米を育てて、収穫し、収穫祭では餅つきをするという年間のイベントでした。藁は、縄をなってしめ縄にしたり縄跳びにしたり。
私は農家をリスペクトしています。だからこそ、農業は厳しくて自分は出来ないと思っていました。ですので、どうして農家になるつもりもない自分もこんなことをしなければならないのか、と子供心に不満でした。
6年間も田んぼをするというのはよっぽど珍しいのか、自分もそうだったと言われたことはありません(当然同窓生は除く)。
学習田は農家の厚意でで学校に貸してもらいました。
籾播きから始まります。苗床をちゃんと作る。苗床の苗は、田植え機用の水だけで栽培した苗と違い、とても太いしっかりした茎をしています。
白い綱に、赤い点のしるしに田植えをする。
蛭に吸われながら、田の草取り。取った草は、捨てずに、踏みつけて田んぼの底に沈めてしまい、肥料にすると教えられました。高学年は水の管理を当番で朝晩する。夏になると稲の花が咲きます。稲も花が咲くのです。そんなこと、知りませんでしたから、なるほど実がなるということは受粉が必要なのか、と改めて感動した覚えがあります。稲の花は一瞬しか咲きません。お天気お姉さんが写真で見せてくれることがあっても、自分で田んぼで稲の花を見た人は今どき少ないかもしれません。
実ると稲刈り。鋸鎌でざくざくと。手を切らないように稲のつかみ方も習います。左手で稲をつかみ、小指より下の方で稲を刈ります。足踏み脱穀機で脱穀。
藁は竹に干す。
干した藁たちは、縄をなって縄跳び大会。そのままでは縄をなえませんので、藁を叩いてほぐします。正月にはしめ縄にする。
もち米なので収穫祭では、餅つきをして食べる。
本当のお百姓さんのように88の苦労をしたかはわかりませんが、米作りって大変だと身をもって思います。
食べ物を吐いてしまうのはとても悲しいこと。
そういう人こそ、農作物を育ててみてもらいたいなぁ…と思います。
学習田に行かされる時に、大人になったらこの経験がかけがいのないものになるから、と教師たちが言うのを恨みがましく聞いていましたけれど、悔しいですが得難い体験だったことは事実のようです。
164.ショパン国際コンクール
2021.07.21
164.ショパン国際コンクール
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。 6月より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
友人に教えてもらったのですが、ショパンコンクールが開催されているようです。
予選通過者の演奏はYouTubeで聴けるんだそうです。予選通過者が日本人31人、中国・台湾・韓国からも多数通過していて、どんだけ東アジア人が多いんだろう、とびっくりです。
全部聞くほど時間はないかもしれませんが、日本人演奏家や話題の人などつまみ食いしながら聞いてみようかと思っています。真剣にコンクールで演奏している方には少々申し訳ないのですが、音楽ですから、あまりコンクールとか審査とか考えないで、楽しんで音を聴けたらと思っています。審査員と意見が一致しなくても自分が好みの演奏かどうかなど、自分なりの楽しみ方を見つけられたらと思います。
163.入って一礼
2021.07.20
163.入って一礼
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。6月より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
以前、前九大総長、久保千春先生から掛け時計を頂いたとご紹介しました。
白状しますが、実は毎日拝んでいませんでした。
でも、患者さんを上手く受け止め切れなかった日もあり、色々反省致しまして、ちゃんと出勤した時に、大黒柱である時計に一礼、してから入るようにしました。
日本代表の選手もピッチを去る時一礼したりしますが、現場に入る時、それなりに背筋を正した気持ちで入ることが大切だなと思い直しまして、最近は入って一礼することにしました。
科学的なエビデンスはありませんが、それをするようになってから、スプーン一杯くらいは優しく診療出来るようになっている気がします。心がけや意識の置き所で良くなるものは、必ず良くして、皆様をお迎えしたいと思っています。
162.医師会で勉強してきました
2021.07.19
162.医師会で勉強してきました
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。6月より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
先日はまん延防止措置も明けて、医師会の勉強会に行って来ました。
適正な保険診療の注意、コロナ感染について等、詳しい先生からのご講演を聴いて参りました。ご時世的にまだ会食等の情報交換は出来ないため、顔見知りになった先生に頭を下げて回る程度でしたが・・・。
当院は医師会所属診療所です。
医師会の要請に応じた地域医療の分担協力、医師会から提供される情報による上記の勉強などをしています。
安心してお掛かり頂けるよう努めて参ります。どうぞよろしくお願いいたします。
161.それもご縁
2021.07.18
161.それもご縁
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。 6月より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
自分の思い入れがあるものが失われる時、力を注いできた集団から離れる時、責任を負ってきたものを手放さざるを得ない時、それぞれ憤りや悲しみ、やるせなさなど色んな気持ちが湧いてくるかもしれません。
自らの責任でそう決断する時も、組織などの都合でそうせざるを得ない時も、それぞれ、変化がある時にはストレスを伴います。
私自身、前職の退職を決断した時、病棟の患者さんのお顔、外来の患者さんのお顔、デイケアの仲間たちのお顔、色んなことが頭をよぎりました。
しかし、接点があるのもご縁ですが、いつか離れるのもご縁です。会者定離と言えましょう。
ですので、離れるご縁が来た時は、離れるご縁を信じて身を任せてみても良いかもしれません。天の導く縁が続いている運命なのであれば、逃れようとしても続きますし、そこで一旦途切れるご縁なら、多分それが天命なのでしょう。それぞれ別の歩みをすることになってもその人たちが自らその歩みをするのもまたご縁。
切なく思うばかりでなく、それもご縁と信じることが出来るなら、別れも豊かに感じることが出来るかもしれません。
160.学校で教えて欲しいソーシャルスキル2
2021.07.17
160.学校で教えて欲しいソーシャルスキル2
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。 6月より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
第2弾です。
学校で教えて欲しいソーシャルスキル第2弾は、「綺麗な別れ方」です。
口説き方、誘い方、の指南書はよく見ますが、本当に必要なものは上手な別れ方だ、と私は思います。
好きです、付き合ってくれませんか?
という告白が、非常に大きなチャレンジになるのは、答えがNoの時に関係がギクシャクしがちだからです。
パートナーとしてはちょっと・・・。だけど同僚や取引相手としてはこれからも「普通に接して欲しい」というのが本音の所でしょう。更には、「断ったら意地悪されるかな」「もう二度と一緒に普通の関係になれないのかな」という心配もありますし、もっと踏み込むなら、「逆ギレされたらどうしよう?」「怒りのあまり変な噂まで流すかもしれない」「断ったらストーカー化するかも」「殺されるかも」という極端な懸念もあるかもしれません。事件レベルでは最後の方のことが実際にあるので困ったものです。
しかし、断るのは、「恋人にはなるつもりがないだけ」であって、「別に人格否定しているつもりはない」ですし、「出来れば今後も普通に接してもらいたい」わけです。
断るのは普通のことで断られるのも普通のこと。恥ずかしいことでも何でもない。というコンセンサスを、一般に広く持ってもらいたいものです。
「ごめんね。友達でね?」であっさり終われたらお互いに楽です。
Noは破壊的な別れしかない、という勘違いになると、君を殺して僕も死ぬ的な発想が出てきてしまいます。これはカップルの解消や離婚に於いてもそうで、相手の立場を尊重し合って威圧も怒声もなく、アサーティブな別れを目指すスキルが求められます。
破壊的な別れはお互い傷つきます。アサーティブに綺麗に「平常運転」に戻れた方が、仕事や勉学に集中するのが早く回復しますし、次のチャンスも早く来ます。回転が良い方がチャンスも増えます。
別れも一つのご縁である、と思えば、またその歩みも大切なものです。
以上のような理由から、アサーティブな別れ方を学校でも教えて欲しい、と思っています。
159.学校で教えて欲しいソーシャルスキル1
2021.07.16
159.学校で教えて欲しいソーシャルスキル1
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。 1日より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
学校で教えて欲しいソーシャルスキルは少なくとも2つあります。もっとあるかもしれませんが・・・。
恋愛など親しい関係になった時にこそ、相手の人格を尊敬する、と言うことです。
多様性とかダイバーシティなど、マイノリティ尊重や差別禁止に関しては、我々が子どもの頃よりは進んできた気がします。ジェンダーによる役割の押しつけや先入観も改善されつつあるようですが実社会ではまだまだです。話を拡大すると収拾が付かなくなるので、本題に戻ります。
友達から恋人になり、ファーストネームでお互いを呼べるようになった頃、相手に対する敬意が剥がれていって、お前と呼んだり、経済的優位で束縛する場合があります。それらは人間の小ささを反映してしまう残念なことと言えるでしょう。
お互いに肌を許す関係になっても、その関係を更に進めることよりも、常に人格をリスペクトし合うことがまず求められます。しかし、距離が近くなると、人格同士の尊重が忘れられてしまうことは度々あるようです。
どんな時も、舞踏会で手を差し出し、一緒に踊って頂けますか?と尋ねるような尊重を続けること。
特に女性は、本当は人格としての自分を見てくれているか、を求めているのではないかと思うのです。
パートナーがこれからと言う人は今後、既にいる人は一度振り返ってみて、相手をいたわっているかを確認して頂いてはいかがでしょう。