172.時には死に向き合う
2021.07.29
172.時には死に向き合う
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。 6月より六本松地区で開業しましたまつばら心療内科の松原慎と申します。 素敵なスタッフに囲まれて、日々、元気に営業しております。
人の死というものは常に、悼まれるものです。
私が子供の頃、日曜日には日曜学校がありました。お寺に行って、お経を読み、お釈迦様の話などを聞き、終わると境内で遊んで終わったと思います。正式にはお経ではないそうですがお経っぽいのは一つ読めるようになりました。
心の仕事をしていますと、死にたい人も来られますが、大切な人の死からショックを受けた人も来られます。
たくさんの方にお目にかかってきて思うのは、今の人、日曜学校に行ってないんじゃないかということです。まあ、私の子供頃だって、結局、数名しかいませんでしたから、行かない人の方が普通なのかもしれませんが、それでも数名はいました。別に仏教に帰依する必要もないのですが、キリスト教の方ならミサなどに行かれるのでしょう。 キリスト教では日曜日は安息日と神様が定義していますので、休む日ですし、そういう日にこそ神様と向き合う必要があります。仏教の人は仏様と向き合えばよろしい。
寺の子ではあるのですが個人的には宗旨宗派は問いません。しかし、全体的に道徳心というか宗教心が下がってきているような気がします。宗教も、原理主義的に熱を入れすぎると戦争の原因になりますので、何事もほどほどが良いのですが、それでも今の人たちは心との向き合いを普段されていないのかなと思います。
どんな宗教であっても、上位概念(神仏)、嘘と誠、生と死について、その教義なりに学ぶものです。
ここでは死について取り上げます。
命は生まれた時から死に始めているわけです。しかし、赤ん坊が成長する様はとても希望が持てて楽しめます。生きる喜び、成長する楽しみにフォーカスが当たるあまり、現代人は死を忌避しすぎていないでしょうか。
陰があるから光のありがたみがわかるわけで、死と正面向いて向き合ったことがないと、しっかり生きることも出来ないのです。大切な人の死は、自分もいつか死ぬことを教えてくれます。そして、そこと向き合うことにより、残りの時間をいかに有意義に生きるか、その人は死を持って教えてくれているのではないでしょうか。
命を大切に思うからこそ、死というものと逃げずにしっかり向き合って頂いてはいかがでしょうか。などと思います。