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1124.学習1

2024.03.11

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 グレゴリー・ベイトソンという哲学者がいます。
 ミルトン・エリクソンについても研究していたことで知られています。

 哲学者でもあり、統合失調症の研究、ダブルバインドにおいても知られ、バリ島の研究、ミルトン・エリクソンの研究、エコロジーなど多岐にわたっているその研究内容から、どんな人だったと言うには少々難しい人でもあります。

 その彼の遺産のなかには学習理論があり、学習1、学習2、学習3などとして知られています。

 学習1は我々が小学校の頃から、親から勉強しなさい、と言われていたことになります。
 漢字の練習、のように、知らないことを知ることです。

 学校制度が普及する前は農民などは読み書きができないのが普通でしたし、文盲率の低さは文明や文化の高度化に不可欠ですから、知らないことを知る、ある程度のことを覚えることは重要です。

 地球が太陽の周りを公転していること、月が地球の衛星であることなどは、今や小学生でも知っていますが、ガリレオを糾弾したヨーロッパ人達よりも今の小学生の方がそういう意味では、公転活動を「知っている」という意味では優位になります。

 ただ、地球が丸いこと自体は、古代ギリシャのエラストテネスの時代に既に知られており、キリスト教の権威化に伴って一部科学が衰退した嫌いもありますし、小学生が地球の公転を「知っている」のは、「習ったから」に過ぎず、厳密な証明をできる能力があるわけではありません。

 そういう意味では1+1=2の証明も、ほとんどの教員が出来ないのではないでしょうか。結構難しい数学の理屈を使うようです。

 しかし、今や、そういう部分もヨビノリの動画など、教育系YouTuberの、活躍により、大学教養レベルの勉強もスマホがあれば出来る時代とも言えます。

 もちろん不要な情報を切り捨てたり、フェイクにだまされないためには、それらを論考する思考力も必要ですが、まずは教科書レベルで知っておいた方が良いことを学習1で知る、と言うことも実は重要なことかと考えています。

1123.ハイヒールの踵

2024.03.10

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 ハイヒールの踵ってピンポイントに体重が載っていますよね。
 満員電車などで電車が揺れた際に、踏まれた方は大変です。
 足の甲に穴が開くんじゃないかと言うくらい痛く感じるわけです。でも、思わずよろけた方は悪意はないし、「あら、ごめんなさい」ということになります。ちょっとよろけただけですし、わざとじゃないですからね。
 この例えば、暴力を振るった側と振るわれた側の受け止め方が全く違うことの例えになります。

 つまり、手を出した方はちょっとかわいがっただけ、と思っても、出された方は、ものすごく怖かった、死ぬかと思った位に感じることがあるわけです。DV等はこのように異なる感性で記録されて行き、離婚の際の問題になっても調停員さんはかなり異なる距離感でこの事象についての陳述を聞くことになります。

 自分にトラウマを与えた対象の人も、そこまで考えていなくて言っていたり、おこなっていたりします。
 よく患者さんに申し上げているのは、そういうものはハイヒールの踵と言いまして、与えた側と与えられた側でずいぶん認識が違う物、と言うことです。いつまでも、「こっちはこんなにきつかったのに」とのにのに、が始まるといつまで経っても解決していかないので、傷付きは傷付きで医師や心理師など専門家にお話し頂いた上で、善後策を検討していければと思います。

1122.死に目に会う

2024.03.09

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 死に目に会う、ということは日本では重視されています。
 しかし、命の灯がが消えていくその瞬間にいるよりは、意識がある内に何らかの御礼を言ったり、大事な言葉を交わすことの方が重要ではないかと思います。

 しかし、重要なやり取りをする間もなくて、死に目になった場合、やっぱり亡くなる前に会いたいというのも人情です。

 私の場合実際には、父親の死に目には会えていません。九州に出てきたというのもあるのですが、病院でぽっくり逝ってしまったので、母も弟も主治医でも、まだまだ今日明日に死なないと認識しており、普通に見舞いに行くつもりにしていたら、夜中にぽっくり亡くなっていたようです。ので、彼に関しては死に目に会った人はいません。

 先日、親戚ではないのですが、親以上の絆を感じている人の死に目に会いました。

 その方はお見舞いを終えて1時間で亡くなってしまいました。

 変わり果てた姿を見たくないような、会っておきたいような、微妙な葛藤があったのですが、声が掛かっただけでもありがたいと考えて思い切って行ってきました。最期は手を握って上げることはできました。
 眼球は上転しており、呼吸も下顎呼吸でしたけれども、話しかけると涙が出ました。脳症もあるなか、耳は聞こえていたのかもしれません。何も返せないのを悔しかったのかもしれません。でも聞こえているんだろうなと思えたのは良かった気がします。

 死に目に会うのが最良とも言いませんし、違う考えの人に押しつける気もありませんが、結局行って良かったと私は思っています。
 ですので、個人的には死に目に会うチャンスがあるのであれば、葛藤があっても一旦駆けつけられては、と思っています。

1121.棚卸しのような

2024.03.08

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 2~3月は実はエアコンが安い月として知られています。
 初夏になると非常に高くなる上に、工事の依頼も頻発して、職人さんに来て頂くのも一苦労となるのです。

 ということもあり、20年ぶりに2部屋エアコンを交換することにしました。
 我が家は中古購入したため、エアコン関係は既に売主さんの遺産が残っていたのですが、それでも20年も住むと古くなってきます。さあ、他人が家に入るとなると、片付けなきゃいけなくなるから大変です。誇りまるけの家のあちこちにダスキンをかけたり掃除機を掛けたり。
 20年近く前に出ていたワークショップの写真だとか、初めて解離性障害を師匠にスーパーヴィジョンしてもらった時の記録だとか、懐かしい物も出てきました。不思議なもので、物をあちらからこちらに移動させるだけでも要らないものが間引きされて捨てられます。

 ようやくある程度きれいになり、エアコン工事も終えることができました。

 皆さんもたまには、棚卸しのようにしてお掃除してご覧になってはいかがでしょう。

1120.ブラームス

2024.03.07

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 クラシックの作曲家にブラームスという人がいます。
 ドイツ・オーストリア系のなかでは、モーツァルト、ベートーヴェンの次の世代に来るわけなのですが、その間にはじつはシューマンという作曲家もおり、ブラームスはシューマンの弟子のようなポジションでしょうか。

 シューマン夫妻と家族ぐるみの交流を持ってかわいがられていたブラームスですが楽聖ベートーヴェンの陰にはおびえていたようで、交響曲第1番の作成に20年も掛かりました。モーツァルトが旅先で交響曲リンツを4日で書き上げた(今でもギネス記録らしい)のは極端な例かもしれませんが、いかに慎重になっていたかわかるでしょう。その甲斐あってか、この第1番は今でもブラームスの中で最も演奏される曲ですし、指揮者のビューローから、「これはベートーヴェンの第10番だ」という最高な評価を受けています。

 第一楽章の深刻で深淵な悩みの中から、第4楽章の光に達する流れは、歓喜の歌第九から確かにバトンタッチされたかのような曲です。

 先日、尊敬してやまない人が亡くなりました。
 全く追いつけず、全く理解し得たと言えないまま、亡くなりました。

 私のような凡人は、ブラームスのような歴史的天才に例えては失礼かもしれませんが、偉大な先人の才能をわかるが故に自分の至らなさに苦悩する彼の姿はちょっぴりですが理解できる気もします。

 そして、ブラームスはベートーヴェンのまねをしたわけではなく、師匠のシューマンから学んだこと、自分のオリジナルなどを加えてその後のたくさんの作品を生み出していきました。

 先人からいかに学んでも、同じにはなれません。引き継げる精神を引き継ぎ、自分なりに咀嚼し消化したものを世に出していくしかないのでしょう。

1119.訪問看護ステーションはるうた様にお越しいただきました

2024.03.06

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 人のご縁とは不思議なものです。
 講演会のご案内をきっかけに、昔の知り合いを通じてつながりました。
 副所長の中村謙吾さんは、優秀な男性看護師です。福間病院で看護助手をしながら学校に通っていて、国家試験合格後も病棟で患者さんに寄り添う看護を実践されてきました。看護を志す学生だった方が立派に訪問看護ステーションの副所長にまでなられて、時間の流れを感じます。
 中村さんのご縁で、スタッフ6名でご訪問頂き、当院のシステムをご説明させて頂きました。24時間電話の対応はされているのと、精神科に特化した訪問看護なので、今後連携してお世話になることもあるかもしれません。

 はるうた様とのご縁が一層深まって皆さんへのよりよい医療を提供できるように心がけて参ります。

1118.求める者は

2024.03.05

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 イタリア語のことわざより。
 求める者は見いだす。
 Chi cerca trova.

 辛抱強く求めていれば、望んでいることが必ずかなうと言うこと。

 優秀な人とはいるもので、少し年上の人だったのですが、20年も付き合っていると、その人の当時の年齢を自分が軽く超えてしまっているのに気づきます。それでも当時のその人に追いつけていないとなると、自分の鈍足を呪わしく思いますし、本物と、後追いする者の差違とはこんなに違うのかと思います。
 きっと藤井聡太八冠に対峙する、A級をはじめとする多くの棋士たちがそんな気分を味わうのでしょう。

 しかし、今年は銀河戦では古豪丸山九段が、藤井八冠を破って優勝しました(それでも当たり前のように決勝戦にいる藤井八冠はおそろしいものがありますが)。

 どんなに相手が圧倒的でも自分ではありませんから、自分の能力を発揮するためには、しっかり準備をして自分なりに一生懸命する、厳しいけれどもそれしかないのでしょう。

1117.死にさえしなければ

2024.03.04

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  A tutto c’è rimeio, fuorchè alla morte.

イタリア語のことわざより。
 直訳は死のを除けば、すべてのものには治療法がある、という意味になります。

 まあ、実際には、がんだとか肝硬変だとか、色々大変な状況があるわけですが。

 しかし、実際に大事な人に死なれてみると、本当に、死んでしまってはどうしようもない、と思うのです。
 パニックとか過呼吸の時にはこのまま死ぬのではないかって思って焦ることもあるようですが、命まで取られることはありませんから、死ぬわけじゃないからなんとかなる、と思えればピンチを脱することができるかもしれません。

1116.焦らずたゆまず

2024.03.03

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 3月はイタリア語検定の季節です。
 今季も受験を考えているわけですが、準2級ともなると、先人の正答率1.9%なんていう問題も出ており、難度が高いです。
 実際に私自身の現在の学力では文法の得点率が4~6割と言った所ですが、回答を読めばなぜそれが正解かは理解できますので、トレーニング不足と言えます。期日までに全過去問3周修了は難しそうなので、今回は過去問集め土地から試し受験になりそうです。

 しかし良いこともあります。辞書を片手に引き引きしていないと全く歯が立たなかった問題たちが、辞書なしでもだいたい何を問うている問題なのかは理解できるようになりましたし、回答スピードも上がりました。分からない問題はいくら考えても分からない(知らない語彙などはどうしようもない)ため、それらを見切るという意味でも速くなったのは良いことです。

 結果につながらないけれども地力が地味に上がっている時期というのは焦ったり、落ち込んだりしやすいわけですが、学生さんのように勉強だけしていれば良いわけではなく、業務と家事をやった上で社会人の時間を捻出しての勉強なわけですから、ぼちぼち地力が着いてくるだけでも良いことだと切り替えるようにしています。

 準2級を目指しているのですが3級合格までの7回ほど受験して、切り立つ崖のように難しいと感じていたのですが、全文暗誦というのをやり出したら、さすがに語学、2-3冊終えた所で、フレーズがまとまって頭に入るようになってきました。

 準2級に関しても最初は切り立つ崖、ほぼ垂直に見えたのですが、今は命綱があれば登れるんじゃないかなくらいには思えています。その内、きつい坂道、何とかなる坂道に変わってくる物なのでしょう。
 勉強をして失う物は何もありませんから、焦らずたゆまず、コツコツと続けて行ければと思います。

1115.学習性無力感

2024.03.02

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 学習性無力感とは、1967年にマーチン・セリグマンが発表したものです。
 具体的には、不可避な高ストレス下に晒された結果、不快な状況から脱却出来なくなる状態です。抵抗すれば良かったのに、なぜ逃げなかったのか、なぜ訴えなかったのか、と、一見思ってしまうような状況であっても、不可避だったがゆえに嫌なことの受け入れを続けてしまったケースなどはこれに当たります。
 動物実験でも証明されており、生物には起こりうることと言えます。したがって、これを気のせいとか、メンタルが弱いから、とか適切な行動が出来なかった自分が悪いと責めるわけには参りません。
 拉致監禁、家庭内虐待、いじめ、会社でのハラスメントなどでも同様なことが起こると言われています。

 対処としては少しずつ小さな成功を積み重ねていくことが最も良いようです。

 そもそも、このブログに辿り着いた行動自体が、読者の方の適切な行動の1つと数えられるでしょうし、受診に至ったならもう一つの成功体験と言えるでしょう。そのように、専門家の門を叩いたこと自体、大きな一歩を踏み出したと言えるわけですから、出来るだけお力になれるよう、心理士、看護師と共に努めて参ります。

 皆様も、自分や自分の周りの人が学習性無力感に陥っているのではないかと思われた時は、一度ご相談頂ければと思います。

地下鉄七隈線「六本松駅」徒歩5分