614.スポーツの日に思う
2022.10.10
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
いつの間に体育の日がスポーツの日に置き換わっているのか分かりませんが、最近はスポーツの日なんだそうです。別に体育の日で良いんだがなぁと個人的には思います。スポーツの日とか言う割には、色々な「配慮」が生まれて面白くないこともあります。組み体操など危険なものは安全に配慮するのがむしろ当然で、良いと思います。特に私なんかいつも、背の順(これも廃止されているらしい)で後ろから2番目でしたから、当然ピラミッドでは一番下。これ、重いのなんの。上の子は落ちたら怖いって言うのがあるそうですが、下は重くて重くてたまりませんでした。潰れた時は骨が折れるかもしれない恐怖感もありましたしね。なので、組み体操が優しくなったのは良いとして、徒競走に順位を付けないとかは意味が分かりません。
そもそも、ホモサピエンスというのは、絶滅した草食系人類と比べて競合的で、争いを好む好戦的な種です。いつまで経っても世界のどこかで戦争をしています。
ですので、勉強だろうが、スポーツだろうが競い合って序列を付けたがるのがヒューマンというものです。それが良いか悪いかはともかく現実的に世の中はそういうものなので、そういうのを知るという機会としても徒競走に順位は付けたら良いと思います。頑張って走って一番になった子が褒められないのもどうかと思います。その上で、勝てなかった子や苦手に思う子にも居場所があり、下位だからといって差別することや見下すことはしない、というのも大事です。そもそも敗者にもリスペクトを持つのがスポーツマンシップなわけですから、体育の日だとかスポーツの日だとかいうなら、そういう配慮も含めて教えるのがスポーツの日のあり方でしょう。
スポーツというのは争い事が好きなホモサピエンスが、戦争の代わりの娯楽として発明したものであり、道具の使用、火の使用、言葉や文字の使用と同じくらい、実は偉大な発明なのではないかなと思います。
音楽やスポーツは、実は高度な身体を含めた脳活動であり、また、スポーツは戦争を減らすという意味ではとても大きく貢献しています。
スポーツを楽しみつつ、世の中から戦争や争い事などが少しでも減ってくれたら良いと切に願っています。