1228.ジンギスカン
2024.06.20
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
学会のため札幌入りしています。
催眠の知り合いが北海道にもいるため、地元の先輩に連れられてジンギスカンを食べてきました。やはり話題になるのは3月に急逝した共通の知り合い。天才の死を悲しみつつ、再会を喜びつつ、我々はしぶとく生きていこうってことであまり煙の出ないジンギスカンを頂いてきました。
ラムの刺身、6ヶ月ラムのスペアリブ焼き、ラムのレバーや胸腺など珍しいものを頂戴しました。
一旦第一線から退かれて、悠々自適な先輩を尻目に、彼の年齢の頃はまだ借金に追われて仕事していそうな自分が想像できてしまいましたが、温泉にデイケアやリワークを組み合わせたり、昼飲み屋の企業を考えていたり、頭の回転の速い人のお話をたくさん伺わせて頂きました。
献杯・・・。
1227.仏検を受けてきました
2024.06.19
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多言語話者のカズマさんによれば、言語は勉強するな、物真似だ、ということらしいのですが、私は頭が固いのか、ある程度自分のやってきたことに手応えがあった方が嬉しいと感じます。4月から思いついてフランス語を始めてみたのですが、やるからには折角なのでと思い、5級を申し込んできました。どの言語も5級はすごく優しい入門で30時間程度の学習で合格するように出来ています。まあ、5級なんて、持っていてもあまり自慢にもならないのですが、いきなり1~2級が取れるわけもないですし、そういう目標設定だと心が折れそうです。最近思うのは、持っててもしょうがないだろうという小さな四角であっても一つのステップアップとして、自分なりに大切に出来たら良いんじゃないかなと言うことです。
受かっていたらまた報告しようかなぁ・・・。
1226.対義語の利用
2024.06.18
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右と言えば左、過去と言えば未来、父と言えば母、親と言えば子、など対になる言葉は豊富にあります。
褒め殺し、なんて言葉もあるように、褒めるのも過剰だと嫌みや攻撃に聞こえてしまうから難しいものです。人間、刺激を受けると、何割か刺激の反対になる反応を出すことがあり得ます。セラピーの間は、その逆側の感情にもコミットしておく必要があります。
左手を扱う時こそ、右手を安定させておくとか、どんどん進行している時こそ落ち着いている腰や足下に言及しておくとか。
対義語を意識して対になる言葉をカバーしておくことでセラピーには多重な厚みが出てきます。そんなことも意識しながら、お話を伺わせて頂いています。
1225.父の日
2024.06.17
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先日は父の日でした。
私の実父はずいぶん前に往生致しましたが、義父は健在です。義父母が所用で福岡へ来ていたこともあり、父の日は会食を致しました。ちょっとした贈り物もさせて頂きました。実父にはなかなか孝行が出来ませんでしたが、ピンチヒッターではありませんが、その代わりに義父が居てくれることで、贈り物も出来ます。
娘からはちょっとしたお菓子をもらいました。学生バイトでもちょっとしたお菓子をくれるだけでも気は心、嬉しいものです。
親子関係と言えば、色々葛藤があることもあり、素直に御礼を言ったり、贈り物を使用という気になれない場合だってあるとは思いますし、私も何もなかったわけではありません。が、そういうことも含めて、良き日には感謝を伝えるということが出来るようになるのも一つの課題の克服なのかもしれません。
みなさまは父の日はどのようにお過ごしでしたか。
1224.連想とテーマ
2024.06.16
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トランス療法の技法の一環に連想を用いた会話というものがあります。話を聞いていて連想したことを聞き手が話し、話し手と聞き手が交代し、聞き手が連想したことをまた話し出すという具合に進めます。
先日友人と話していて、親子の葛藤のテーマが出た時に、ふと、世界献血者デーについて言及しました。正直、ちょっと実験的な試みで、その親子葛藤と献血デーは何の関係もなく、先日世界献血者デーだと初めて知った、というタイミングただそれだけです。
ところが面白いことに、それを聞くと、親戚に血液疾患の人が居て云々と、家族・血液と連想されたテーマが展開しました。血族というように血は、赤血球だけではなく、遺伝や家系の象徴語にもなり得ますから、そういうことが起こるのでしょう。そういう連想を働かせていると親子葛藤の問題が一つ視野が広がって見えてくるから不思議なものです。
連想を用いた会話が治療的になるのは、相互の脳が刺激されて体験を誘発するからであり、「体験」を持っていないAIには出来ない作業です。最も、1万人ほどの体験をストーリーとしてストックして、AIの性格や体験を「設定」しておけばそういうことも可能になる日が来るのかもしれませんが。
1223.世界献血者デー
2024.06.15
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昨日は世界献血デーだったそうです。
ABO式血液型を発見したカール・ラントシュタイナーの誕生日にちなんだもののようです。ラントシュタイナーはノーベル医学生理学賞を受賞しました。
今では小学生でも知っているABO式血液型。間違えると死者も出かねません。これらは、各地の献血車に乗ってキャラバンを組む献血隊に集められ、血液センターで製剤化されます。献血は、迷走神経反射による失神などのリスクもあり、それらの事故がないようスタッフも鋭意献血をしているようです。
友人にその業務をしている人がいて、そこから色々伺ってから献血の苦労に敬意を持てるようになりました。
みなさまも献血車をご覧になったら、少しその苦労に思いをはせて頂いて、お時間と体力に余裕があればご協力頂ければと思います。
1222.自傷行為と親の対応
2024.06.14
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リスカ、レグカなどで手首や太ももを自傷する方も一定数いらっしゃっています。
心療内科オンリーの施設ですと自傷他害が含まれた場合、診療できないと言われる場合もありますが、精神科標榜の所では自傷行為のある人などはざらにおられます。
我が子の自傷を見せられて、良い気分になる親などは居ないと思いますが、その時にあまり推奨できない言い方というのもあるわけです。
例えば、親を苦しめようとしているのか、とか、親に復讐したいのか、というような聞き方などがその内の一つでしょうか。
言いたくなる気持ちは分からないでもないのですが、自傷するほど自分を傷つけている子供をさらになじったところで生産的な帰結に結びつくとは思えません。
また、親を苦しめようとしているのか?等の問いは、結局どんな回答を求めているのか、ということになります。
Yesであれば、子は親を苦しめようとしている、ということを承認させられたことになり、子が親を苦しめようとしており、親は苦しんでいるのだ、ということを認めた上での関係が始まり、なぜ苦しめようとするのか、恨みがあるのか等、非難の応酬のような質問が連鎖していくわけです。そうなるのが見え見えですから子はYesなんて答えられないですね。
Noであればどうでしょうか。親を苦しめようとしているわけではない、ということになります。そうすると、次は、「ではなぜ自傷を繰り返すのか」という質問が来ることになるでしょう。しかし、この原因を尋ねる質問は、批判的なニュアンスに陥りがちです。なぜ、と問うても、理解できない、という意見表明も兼ねているわけですから、聞かれたところで自分でも説明できないことを親や他者に説明できなかったり、そもそもそんなディベートが出来るならリスカをしないよ、ということになりそうです。
そういうわけで、この手の批判的な質問(親を苦しめようとしているのか等)は、お勧めできません。
何が正解と言うことはないかもしれませんが、とにかく今は生きている訳なので、生きていること、存在自体を肯定していく、承認していくことが大切ではないでしょうか。また、子に対してこの気持ちを邪推して「苦しめようとしている」と取るのは適切なポジショニングとは言えません。ただ、個人の感想を述べるのは自由ですから、「あなたが自傷すると私は悲しい」というのは親本人の純粋な意見表明になります。それを受け容れたり、それを聞いて行動を変えるかは子の自由であり、聞かない自由はあるわけですが。
なのでこういう場合は相手の気持ちがこうじゃないのかというようなやり取りはあまり生産的なやり取りを生みませんから、生きていて欲しい、自傷しないで欲しいという気持ちを押しつけない程度に表明する、というようなことになるかと思います。何度もカッターを取り上げてもまたどこかで買ってきており結局いたちごっこになりますが、そうだとしても見つけた以上は押収するのも親の責任というところもあるので、この手のいたちごっこはやむを得ないところがあります。
止めなさい、で止まれば、精神科医は要りません。当事者の方も保護者の方も少しでも幸せな時間帯が増えるようにご相談頂ければと思います。
1221.動く方に重心を載せる
2024.06.13
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
スキーというウインタースポーツがあります。大学の頃は岐阜県まで車を駆って滑りに行っていましたが、もうやらなくなりました。今の家族でそろって行ったことはないですが、子供たちも大山のスクールに行かせていたので全員で行けば私が1番下手なんじゃないかと思います。
それはそれとして、素人ながらに思うのはスキーの怖さって、動く方に重心を載せることだと思います。重心を載せたらその板が滑り出してしまうわけです。制御できなければ怖いのなんのって。
もちろん、止まり方とか、曲がり方が分かっていれば、むしろ動く方に載せないと却って危ないじゃないかということになるわけですけれども、始めてやる時に動く方に重心を載せるって難しいと思います。
しかし、これは喩えとしてあり得る話で、何かやっているとそれを終わらせて新しい方に乗っかるのって案外難しいことだったりします。新しいことに向かっていく時は旧弊を捨て、新しい試みにしっかりと重心を載せていくこともまた大切なことかもしれません。
1220.勉強を馬鹿にしてくる輩は無視
2024.06.12
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
勉強していると家族に上から目線で否定されるとか、バカにされるなんて話も頂きます。
どういう状況下にもよりますし、よほど要領が悪ければ、苦言を呈されることもあるかもしれませんが、まず、勉強はしていて犯罪にはなりませんし、人様に迷惑を掛けない行為です。目標を持っておとなしく勉強している人を頭ごなしに否定するのは家族のあり方としては大いに疑問があります。助言がしたいのであれば、肯定的態度で接触することから始める必要があるでしょう。
音楽の練習等で実際に音量などが迷惑になるのでもない限り、机に向かう行為は基本的に邪魔されるべきではないと、私は考えています。要領もやりながら良くなることもありますから、体験してみないと分からないこともあります。
騒音を出さずに勉強をしているのであれば、応援してもらいたいというものです。
もちろん、割り当てられた家事もやらないで勉強ばかりしているとなると、社会人になると家事もやりなよ、という意見は出ますから、家事への参画が不十分だという場合はその限りではありません。応分の家事をこなしているのであれば、基本的に勉強は邪魔してはいけません。
勉強しようというのを馬鹿にしてくる輩は無視しておくのが基本だと思われます。
1219.習い事
2024.06.11
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
六月六日に習いごとをすると良いなどという言い伝えもあるようですが、レッスンというのは良いものと思っています。
個人レッスンは自分の悪いところがすぐに直るので、成長という意味でも貴重な機会です。
最近は、オカリナを教えて欲しいというご依頼も受けていたら、何名か、お教えして差し上げることになりました。
心理療法等はこれまで人様にお教えしてきた経験があるのですが、オカリナをお教えするのは新しい体験でした。それぞれ良いところが違うので、それを見つけて伸ばしていく、足りないところをまた補足して成長して頂くように心がけています。
自分を成長させることは楽しみになりますので興味のあることがあったら習い事を始めて見て頂いてはいかがでしょう。