748.土を頂く
2023.03.03
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
晋の文公、重耳と言えば、傑出した覇者であることが知られています。この諡(おくりな)は、文が再考とされており、武が2番目くらいになります。ダメな王様だと霊王とか、ひどい諡を付けられますから。
しかしこの文公、君主になったのはなんと62歳という所謂定年後です。
長兄が自殺に追い込まれ、弟に先に就位され、と、それまで、君主の継承権があるというだけで、様々な国を流浪していた訳ですから、なかなか大した人なのでしょう。
その重耳が、ある時、ある国に入って食事を恵んでもらえないかと無心した所、土地の農民に器に盛った土を出されたそうです。
お腹のすいた時に土を喰わせようってくらい、土民にバカにされたわけですから、流石の名君、重耳も、この時ばかりはカッとしつつもこらえたそうです。所が後に大臣になる腹心がすごいリフレーミングをしました。
「主よ、これは、吉兆ですぞ」
農民に土盛りのご飯?を差し出されたことの何が吉兆だと言うのでしょう?
「この国に入って最初に出遭った農民が、この土地をくれたのです。この土地はいずれ主の物となりましょう」
62歳まで放浪に付き合う家臣も、なかなか出来た人なのです。そして、それが暗示だったのか、後に覇者となった時、その土地は文公の支配下になったのだそうです。
君主の継承権でもない限りなかなかこんな大逆転はないかもしれませんが、相手の悪意に見えたことも、その先の天命なのかもしれない、という風に見ていくと、不思議なことに、長大な時間の流れの中では吉兆と捉えることが出来るのかもしれません。
それを、悪意だけで傷ついたり、カッとして相手をやっつけたりせず、辛抱しながら、その底辺にわずかに光る天命を見いだせたならば、どんな逆境も力に変えられるのでしょう。その辛抱と徳の積み方こそが、文公を戦国春秋一の名君にした力だったのかもしれません。我々も怒ったり拗ねたりしそうな時、文公の何万分の一くらいは、こらえてみた方が良いのかもしれません。