683.敵対的に振る舞う損
2022.12.19
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
学校の対応が悪い、会社の対応が不十分だ、組織に誠意を感じない。
適応障害になる原因が、いじめやハラスメントだったり、その後の対応が拙劣だったりした時、どうしても、風通しの悪さ、対応の後手後手な感じ、対応者は対応していると主張したり対応者なりの能力で応じていても、要求者の水準に満たないようなこと、などから、傷ついた側は、組織に対して雪だるま式に不信感を募らせていくことがあるでしょう。
より良い対応を求めて、ガイドラインを引いてきたり、国のマニュアルを出してきたり、理想的な運用の著作などを調べてきたりするのも、改善を要求する一つの努力なのかもしれません。
ただ、その求め方が、ガイドラインはかくかくしかじかなのに、ちっともやっていないではないか!と敵対的に振る舞うのが良いのか、不十分な対応だが何とかやっている組織に対して、一応手を握ってその善意を労って接近するのが良いのか、という問題はあります。前者の方だと組織も態度を硬化させますから、情報も最低限しか出さなくなり、ディスコミュニケーションにつながりやすくなります。不十分な対応だ!という時に、対応が不十分だからダメだ、というのか、不十分ながら対応はしてくれているんだ、というのかによって組織の側の構えも変わり得ます。
この辺のさじ加減は難しいのですが、組織にも組織の事情があり、人員がそこまではけない場合もあるし、そのケースだけが重要ではない場合もあるし、同様のケースが頻発していて、均等に注力しなければならない場合もあります。
自分や自分の身内が傷つけられた時、確かにそれに義憤を感じますし、改善を求めることは必要でしょう。
ただ、あまりにも敵対的な矛を振り回しすぎると、対応しようとしているのにその対応から責められると、組織からそれ以上の力を引き出せなくなるのも事実です。
問題解決にベストを尽くすのであれば、不十分ながらも対応してくれた人や組織を一旦認めて、その協力をより多く引き出すというのもベストを目指す上で必要な方略になるかもしれません。頭にきた時は少し冷静になって、過剰に敵対的にならないようにして見られてはいかがでしょうか。
どこを主張してどこは片眼をつむるのか、案配が分からない時は、ご相談頂ければと思います。ご一緒に考えさせて頂きます。