606.理解させるかどうか
2022.10.02
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
人間関係は難しいもので、つうといえばかあ、というように以心伝心のこともあれば、ことある毎にノッキングを起こす関係もあります。
意地悪な相手や、そもそも当方を理解したり寄り添ったりする気がない相手になってくると、なおさらことは難しくなるでしょう。
人間、相互理解が大事と言いますが、それは相互に理解し合って歩み寄りたいと言う動機付けがある場合の話と思います。
歩み寄ったり寄り添ったりする気がない人を相手にする場合、そもそも自分たちも歩み寄る必要があるのかと言うことも考える必要があるでしょう。
他者に物事を理解させることには、結構労力が掛かります。
①相手が当方の発言を聞き入れる気があるのか。
むしろ先方の主張を当方に聞き入れさせようという気が満々の場合すらあります。
②自分の事態の理解は論理的か。
③自分に十分な語彙や論理性などの説明能力があるか。
④相手に、論理的な理解力があるか。
⑤相手に、感情的な受容の余地はあるか。
⑥労力を割いてでも理解させたい相手であるか。
などいくつかの条件があります。
自分が十分事態を理解しているとしても、上手く表現できなかったりして、語彙や論理展開などが十分出来るとは限りません。また、議論とは難しいもので、当方が正しければ正しいほど、完敗を避けたい相手が難癖を付けて感情的な抵抗や混乱を起こし、なぜか両成敗で終わるということもあり得ます。相手方が、情緒的な面で当方の主張を受け容れる余地があるのかはアセスメントする必要があるでしょう。
そして、何より大事なのは時間の費用対効果でも申し上げたことですが、それだけの労力を割く価値のある相手であるかと言うことです。
もし、理解させる労力を支払うに見合わない相手であるならば、説明を放棄し、口をつぐみ、距離を取り、相手からの刺激をスルーする、と言うのも一つの選択肢になって来ます。
タフな相手がある場合、これらの要素を一つ一つ検討してみると良いでしょう。それらの整理に助言が必要とお感じの場合は、一度ご相談頂ければとと思います。