415.心配する心性
2022.03.26
415.心配する心性
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。日々元気に営業しております。
良く、家族のことで相談したい、と言われます。
実際にその対象者に問題がある場合もありますし、対象者は全く問題のないこともあります。
心配だから、といわれる時は少々問題です。
実際に問題があるかどうかはケースバイケースとして、心配だと述べる心性について考えて見ます。
誰それが心配だ、という場合です。
彼なら、彼女ならきっと何とかするんじゃないか、と漠然とでも盤石の信頼感があれば、それほど心配にはなりません。と、いうことは、対象者を心配すると言うことは、陳述者は対象者を信用しきっていないのではないでしょうか。
彼や彼女が心配と言うより、日頃から、なんくるないさ(何とかなるさ)、と思って構えている場合はその人を信じようが信じまいが、何とかなるだろう、と思ってこれも心配しません。
つまり、心配するというのは、自分自身が不安に耐性がないことと、話題の人が良い結果にたどり着く可能性をあまり信じていないことに起因するのではないでしょうか。
緊急性は切迫性がないのであれば、信じて待ってみるのも一つの手と言えます。心配事が一杯の人は、それが自分の不安耐性からくるのか、相手への信用から来るのか、他の要因か、振り返ってご覧になっても良いかもしれません。もちろん、一人でどうしようもない時は専門家に相談して頂くのが良いので、ご相談頂ければと思います。