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341.ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番

2022.01.11

341.ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。日々元気に営業しております。

 ラフマニノフと言えば、この曲ですよね。第3番もあるし、前奏曲Op.3-2鐘、とか、交響曲第2番、ヴォカリーズなどもありますが、ピアノ協奏曲第2番が最も有名です。

 ところで、この曲が催眠療法によって書かれたことはご存じでしょうか。

 時々CDのノートに記載されています。

 ラフマニノフと言えば、第二次大戦頃に亡くなっており、かろうじて録音も残されておりラフマニノフ、プレイズ、ラフマニノフなどがCD化されているため、最近のイメージもありますが、この曲が書かれたのは19世紀のことです。
 

 ロシアは貴族はフランス語をたしなむなどしていましたし、サルペトリエール派と言われる催眠の学派(他方はリエボー、ベルネイムらのナンシー派)はシャルコーが開祖です。
 ジャン・マルタン・シャルコーは、ダンテの神曲をイタリア語で、シェイクスピアを英語で諳んじ、ロシア皇帝の侍医も務めた人です。語学だけでなく、シャルコー関節やシャルコーマリートゥース病など現代でも残る病気を発見した老年神経学の権威でした。

 ダーリというロシア人の医師が1888年にモスクワ大学を卒業し、シャルコーに学んだと言います。シャルコーの没年は1893年(明治26年)ですから、ダーリがシャルコーから学んだのはおそらく本当と考えて良いでしょう。

 ラフマニノフは1895年に交響曲第1番を完成させた物の、不評で、それに悩んでいたと言います。1900年頃、ダーリがラフマニノフを催眠治療し、ラフマニノフはこの曲を書いたと言います。

 私は催眠療法を学ぶ前の中高生の頃に、CDのライナーノートを読んで、そのことを知りました。藤本正雄氏の催眠術入門を読んだのが小学生の頃でしたが、ラフマニノフが催眠で治療されてこの素晴らしい曲を書いた、と言うのが、催眠療法を学ぶ伏線になったかもしれません。

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