1129.チャウシェスク・ベビー
2024.03.16
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
ルーマニアはかつて、チャウシェスク大統領が独裁的な政治をしていたと言われています。彼は人口増加が経済成長につながるという考えを持っていました。それ自体は悪いことではありませんが、手厚い福祉環境を充実させることなく、1966年に法令770条という法律により、母親が40歳以上や4児以上産んでいる場合以外の中絶を禁止する法律を作りました。
ケアなしの強制は悪手だったと言え、多くの捨て子を生み出し、悲惨な状況となりました。
ナタリスト(産児増加提唱者)からの強要により大家族となり、養えなくなった両親が、子供達の養育を放棄することによる孤児が増えたと言います。児童精神病院などは薬や洗浄設備が不足し、子供達は危険拘束をされたり糞尿にまみれて暮らすなど、劣悪なケアがなされていました。1982年に飢餓輸出の方策が止まると、ルーマニアでは電気や暖房が止まることなどもしばしばとなり、食糧も不足しました。
国家的なネグレクトと言えるこの状態は1989年のルーマニア革命により共産党政権が倒れて明らかになり、EUからも孤児問題を改善するような指示が出ていました。
養子縁組も当初、ひどい状況だったようで祖父母による物を除いて外国への養子が禁じられました。
ストリートチルドレンになったり、マンホールタウンの麻薬汚染など、ルーマニアではまだまだ社会問題が根強くありますが、これらのネグレクトについても研究が進んだり、慈善団体の援助がなされたりして、徐々に改善しつつはあります。
国家がネグレクト的な対応をする、と言うことがいかに悲惨なことになるかという社会実験的な例になるわけですが、その後も様々な研究成果が積み重ねられているようです。
当院でもこれらの成果から学び、マル・トリートメントを生き延びた方々の支援に生かせればと思っております。