1070.お金と自分の価値
2024.01.18
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
寺の子だからか、貧乏性だからか、分かりませんが、私はあまりお金儲けが上手ではありません。
大きな利潤を得ることは悪いことなのではないかと、潜在的に思っているようです。
しかし、例えばユニクロではありませんが、安くてセンスの良い服があれば、それは買うわけで、その結果ファーストリテイリングが大もうけするのは必然のことかもしれません。
それが悪かと言えばそうではなく、公示した価格で売ってその業績な訳ですから、市民から評価されているということであり、それを経済の言葉で市場価値というのでしょう。
市場価値を認めない、というと、一見仙人のようでかっこよさそうな気もしますが、一部、レアで理解が難しい芸術等の範囲を除けば、どんな高尚なものも市場価値で決まると言えましょう。高尚な価値の分かる学者でないならば、良いと思えば良い、悪いと思えば悪いという単純な価値観で良いし、価値がわかりにくいけど本当は価値があるものについて、民衆の理解が足りない時は、それを補充して啓発活動するのは学者の務めというものです。
親切心で人にボランティア的に親切心を提供しようとした時に、ある親友から、それは良くないことだと窘められました。それは自分の安売りになるし、それが拡散すると自分が安い人だという「狎れ」が横行してしまうからだと。
そういうことを嫌うのではなく、私も後50年は生きませんから、残りの人生も有限で、貴重な時間を割くことに対して、対価を求めるのが筋だというのです。お金をもらってどうかという話ではなく、何かを教えたり提供するにはそれまでしてきた修行、その日にプレゼンする準備、など時間と労力が発生するわけであり、それにリスペクトを払えない生徒には教えなくて良いということになります。なるほどなと思いました。私はすぐに自分を安売りしてしまう傾向にあり、反省すると同時に、苦言を呈する友達が、白髪頭の歳にもいることを感謝したいと思いました。
守銭奴になるつもりはありませんが、時間も労力も限られており、尊重してくれる人に全力を尽くし、価値を認めてくれない人とのお付き合いは控える、という風にすると、少し生きやすくなるのではないかと思います。