934.海より深い
2023.09.04
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。
この仕事をしていると、だいたい情報のソースは独りのことが多いので、パワハラの相手に関してとか、被害者の語る加害者像だとかは、脚色されている可能性もありますが、その人の見方しか聞くことが出来ません。たまに家族も付いてきて実はかくかくしかじかなんだと真相を教えて下さることもあり、そういう情報があると物事が立体的に見えてきて助かります。
先日も恋愛のもつれで自分を捨てた恋人への恨み辛みを聞いていたのですが、否定するわけにも行かないので、ひたすら傾聴するわけです。語り手に乗せられて一緒に義憤を感じたりもするわけですが、そのケースでは、たまたま双方知り合いだったケースで、回り回って「悪者」にされている方にも深い事情があって、本人なりの最善努力をした結果として、寄り添うことが難しくなったという話が聞こえてきました。
どっちが事実かは結局分からないのですが、事情をそれとなく知らせてくれた仲介者の一言によって、私の中で「悪者」っぽくイメージしていたのが、春の雪解けのように氷解していきました。
よく考えてみればその人だって、それなりに深い考えがあり、覚悟があり、責任を感じて行動していたはずであり、それでもその結果だったということには海より深い事情があったのかもしれません。
おかしいのではないか、それはないのではないか、という憤りや義憤を感じた時、後々、非常に深い事情を知らされる、なんてストーリーは古典文学からも見られるテーマのように思います。ある見方では、腹立たしいけれども、俯瞰してみるとどっちもどっちだったり、語り手の方が悪かったりすることもあります。
物事の見方は視点の置き位置によっても変わるので、何か感じた時は海より深い事情が潜んでいるかもしれない、と考えて、一息お茶でも飲むと落ち着くかもしれません。