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1222.自傷行為と親の対応

2024.06.14

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 リスカ、レグカなどで手首や太ももを自傷する方も一定数いらっしゃっています。
 心療内科オンリーの施設ですと自傷他害が含まれた場合、診療できないと言われる場合もありますが、精神科標榜の所では自傷行為のある人などはざらにおられます。

 我が子の自傷を見せられて、良い気分になる親などは居ないと思いますが、その時にあまり推奨できない言い方というのもあるわけです。
 例えば、親を苦しめようとしているのか、とか、親に復讐したいのか、というような聞き方などがその内の一つでしょうか。

 言いたくなる気持ちは分からないでもないのですが、自傷するほど自分を傷つけている子供をさらになじったところで生産的な帰結に結びつくとは思えません。
 また、親を苦しめようとしているのか?等の問いは、結局どんな回答を求めているのか、ということになります。

 Yesであれば、子は親を苦しめようとしている、ということを承認させられたことになり、子が親を苦しめようとしており、親は苦しんでいるのだ、ということを認めた上での関係が始まり、なぜ苦しめようとするのか、恨みがあるのか等、非難の応酬のような質問が連鎖していくわけです。そうなるのが見え見えですから子はYesなんて答えられないですね。
 Noであればどうでしょうか。親を苦しめようとしているわけではない、ということになります。そうすると、次は、「ではなぜ自傷を繰り返すのか」という質問が来ることになるでしょう。しかし、この原因を尋ねる質問は、批判的なニュアンスに陥りがちです。なぜ、と問うても、理解できない、という意見表明も兼ねているわけですから、聞かれたところで自分でも説明できないことを親や他者に説明できなかったり、そもそもそんなディベートが出来るならリスカをしないよ、ということになりそうです。

 そういうわけで、この手の批判的な質問(親を苦しめようとしているのか等)は、お勧めできません。
 何が正解と言うことはないかもしれませんが、とにかく今は生きている訳なので、生きていること、存在自体を肯定していく、承認していくことが大切ではないでしょうか。また、子に対してこの気持ちを邪推して「苦しめようとしている」と取るのは適切なポジショニングとは言えません。ただ、個人の感想を述べるのは自由ですから、「あなたが自傷すると私は悲しい」というのは親本人の純粋な意見表明になります。それを受け容れたり、それを聞いて行動を変えるかは子の自由であり、聞かない自由はあるわけですが。
 なのでこういう場合は相手の気持ちがこうじゃないのかというようなやり取りはあまり生産的なやり取りを生みませんから、生きていて欲しい、自傷しないで欲しいという気持ちを押しつけない程度に表明する、というようなことになるかと思います。何度もカッターを取り上げてもまたどこかで買ってきており結局いたちごっこになりますが、そうだとしても見つけた以上は押収するのも親の責任というところもあるので、この手のいたちごっこはやむを得ないところがあります。

 止めなさい、で止まれば、精神科医は要りません。当事者の方も保護者の方も少しでも幸せな時間帯が増えるようにご相談頂ければと思います。

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