89.偉大なる平凡
2021.05.09
89.偉大なる平凡
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。
福岡市の六本松に2021年6月1日から心療内科のクリニックを開設させて頂きます、松原慎と申します。
5月の第2日曜日は母の日です。
みなさんは、お母さんにどんな思いがありますか?
親子ですから、感謝の気持ちもあれば、お互いの改善ポイントもある、などなど、色んなことを思い出しているかもしれません。私などは、自分が親になってみて、親の感覚を初めて多少理解出来たこともあります。
わが母は、音痴だし、特に優れた特技の見当たらない人でした。
何の取り柄もない人かと思っていましたが、必ず決まった時間にご飯が出てきました。それについて、ご飯が食べられないかもしれない、という不安に陥ったことはありません。すごい夫婦喧嘩の後とかでも、何食わぬ顔でご飯は出てきましたし、平常運転をしてくれました。
虐待体験のある方や解離の方、PTSDの方などと対峙するようになって、家庭が安定していることは、とても幸せなことだったのではないかと思えるようになりました。ウチの母は東北の朴訥な女ですから、「愛しているわ」「大好きよ」なんて、言ってくれたことはありません。しかし、毎日ご飯を作ってみると~私自身、結構家事をやります~安定してご飯を作り続けることは、慣れなければ面倒だし、しんどいし、結構大変です。
彼女も大変だったのかもしれません。
考えてみれば、母親が男を作ってどこかへ逃げるかもしれない、とか、母親が外泊して帰ってこないとか、そういう不安に陥ったことは一度もありませんでした。母親が何か意地悪を企んでいるのではないかと思ったこともありませんでした。まともなお母さんなら多分ほとんどの人がそうだとは思いますが・・・。今の世代、ご飯をお母さんが作ると決まったものではありません。ただ、私がこどもの頃、我が家では母が炊事を担当していましたので、私にとっては母はご飯を作ってくれる人でした。
こどもに変な疑念や不安を持たせないこと、食事・風呂などが当たり前に用意されていくこと、なんて偉大なのだろう。
平々凡々な日常を安定して送らせることが出来る。
そのことに感謝の気持ちを持てるようになった時、私はこれを偉大なる平凡、と名付けることにしました。
久しぶりに会った同級生の女性が、お母様の命の灯火が消えそうという時がありました。
どうしたら良いだろう?
という問いに、偉大なる平凡、の話をしました。
今いる家族、今いるこどもたちのために、平凡な日常を送るようにしていく。それこそが、自分の母親が自分が大人になるまでしてくれたことへの感謝になる、というわけです。滝に打たれて願を掛けても良いのかもしれませんが、仕事もあるし、家事もあり、親が病気になってもそんなに簡単に特別なことは出来ません。何か特別なことをしなければならないわけではなく、偉大なる平凡、平凡な日常を送れるようにする責任が家庭人である大人にはあります。
偉大なる平凡への責任と感謝の気持ちを持ちながら、母の日を迎えています。