59.催眠の夜明け
2021.04.09
59.催眠の夜明け
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。
福岡市の六本松に2021年6月1日から心療内科のクリニックを開設させて頂きます、松原慎と申します。
今日は催眠療法の最初がどんなものであったか少しお話ししましょう。
世は18世紀、モーツァルトやマリーアントワネットが生きていた時代。これが近代の催眠の最初になります。
祓魔術で高名であったガスナー神父という方がいました。
ガスナー神父は医者では治らない難病を、悪魔祓いによって治す霊験灼かな神父として知られていました。
それにNoと言って現れたのがメスメルでした。
メスメルは医者でした。ウィーン大学の医学部を出たと言いますから、日本で言えば東大医学部ですよね。相当に優秀なお医者さんです。しかも、ウィーン大学で医学博士を取っています。その博士論文は、「遊星(=惑星のこと)の磁気が人体に与える影響について」というものでした。
動物の体に磁気がある、のは、今の時代、MRIなんて撮影道具がありますので、あるっちゃあるのですが、当時の技術で、動物の体にある磁気が、他者や病気に影響するほどの磁力があるとか、その磁力を操作することが可能、ということは立証が不可能だった様に思いますし、今でも、人体内の磁力を他者への治療的影響として使う技術はありませんし、生物の中にある磁力は大したことがなく、そこまでの強さがないと現代では信じられています。
心電図ならぬ心磁図とか、脳の磁気刺激療法なんて今もありますので、人体に磁場があるのは間違いありませんが、いずれにしてもメスメルのは主張はSFの範囲だったと思われます。
メスメルは言いました。祓魔術なんてインチキだ。動物には動物磁気があり、それがバランスを崩しているから病気になるのだ。惑星から影響を受けている磁気を調整することが出来れば病気は治るのであって祓魔術ではない、と。
2人は対決し、メスメルが勝利しました。
この頃、キリスト教を頂点とする世界から、ヨーロッパ人が地動説や、進化論などに気づきだした流れがあります。欧州では科学が産声を上げてきている時代でした。
今となればどっちも似非科学になったわけですが、メスメルは大いに受け、ウィーンやパリで大成功を収めます。
広い円形のプールの真ん中に等の様なポールが立っていて、患者達は、プール(バケー=磁気桶と呼ばれた)の周りにおり、メスメルの登場を待ちます。わらにもすがる思いで遠方から旅してきた患者もいました。
待ちかねていると、厳かな雰囲気で、シャンシャンと鈴の音を鳴らしてメスメルが登場します。
そして、メスメルが、バケーの中央のポールに触れると・・・。患者達はありがたがって痙攣を起こしてしまいました。そして、遠くから来た者ほどよく治りました。
これは、信仰のあまり、ヒステリー性の痙攣を起こしていると考えられます。別に信心以外の何もありません。しかし、これは結果的に痙攣が起きたことによって、現代医学の電気痙攣療法と同じような効果はあったのだと思われます。
脳が痙攣波を出すと、うつ病や双極性障害、幻覚妄想状態がリセットされて治ることがありますから、あながち、鰯の頭とも言い切れません。
ただ、メスメルはちょっとやりすぎちゃったようです。あまりにも有名になり、ルイ16世が調査委員会を作りました。そのメンバーはラボアジエやフランクリンという歴史的な科学者によって構成されました。
その結果、「動物磁気は存在しない」という結論が出ました。しかし、「暗示などの効果はある」とも言われました。
メスメルは追放されスイスの湖畔で寂しく死んでいく訳です。ルイ16世もギロチンの露となって革命後に消えてしまいますね(ギロチンを作ったのは死ぬ苦しみを味わわせないように、とギヨタン博士が考案し、それがギロチンとして残っています)。
祓魔術には勝ち、暗示とその効果は認められながらも、結局はインチキ扱いされて、催眠術の黎明を彩ったメスメルは追放されてしまい、催眠が医学の舞台に戻ってくるまでには、ジャン・マルタン・シャルコーという大学者の出現を待たなければなりませんでした。
催眠術の栄枯盛衰はどういうわけだか、欧州であれ、日本であれ、栄枯盛衰を繰り返します。なぜなのでしょうねぇ。
さて、今日は長くなってしまったのでここでおしまいです。
シャルコー周辺のお話はまた別の機会にしましょう。