34.催眠療法 その1 催眠術修得~心療内科入局まで
2021.03.15
34.催眠療法 その1 催眠術修得~心療内科入局まで
ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。
福岡市の六本松に2021年6月1日から心療内科のクリニックを開設させて頂きます、松原慎と申します。
三重県出身の私がなぜ九州に居着いてしまったかにも関係するのですが・・・。
大学時代に催眠術の本を読んで、東京の民間の催眠の先生に習いに行きました。催眠を掛ける技術がとても秀逸な人でした(もちろん人としても尊敬しています)。夏休みを利用してユースホステルに連泊したりして、何とかそちらの講座を終えました。
大学に戻ってきて、友達に掛けてみると、年齢退行させて赤ちゃんに戻すと足の裏ではバビンスキー反射が出たり、後催眠暗示という現象も実際に再現することが出来ました。
これはかなりすごいものなのではないか、と直感しました。
もちろん、他の方にそれだけの影響力を行使できることに多少満足感がないこともないのですが、人間心理というものは、暗示や教示によって時には生理的な変化すら起こしてしまうことを目の当たりにしました。バビンスキー反射というのは乳児にしか出ない原始的な反射で大人になると消えてしまいます。生理学の教授になぜこういうことが起こるのか質問してみましたが納得のいく回答は得られませんでした。
変性意識(トランス状態)と人間の変化というのはかくも劇的なものかと思った私は、元々寺の子という心性も手伝って、この不思議な現象を医学的に役立てる前向きな方法はないだろうかと考えました。
催眠、という名で当時学術書を追いかけていくと、池見酉次郎、成瀬悟策、という大学者が、2人いることに気づきます。その共通項は「九州大学」でした。池見先生は心療内科の初代教授。成瀬悟策は心理臨床学会を作り、公認心理師国家資格かの前段階である臨床心理士をプロフェッショナルな資格に押し上げた巨人です。動作療法の始祖としても知られています。
先日、東京の催眠術の恩師から頂いたお手紙が出てきました。
「松原さんに必要なのは医学や心理学の知識です。技術は教えましたが、単なる催眠屋になって欲しくありません。しっかりと正統な道で勉強を積み重ねて下さい」と言った主旨の激励でした。
そこで、「九州大学」というキーワードをたどり、第3代教授だった久保千春先生の門を叩きました。
今でも忘れ得ぬ言葉があります。
「今催眠をやっている人は医局にはいないけど、何かミスでもしたら僕がしっかり守るから、心療内科に入局して一生懸命催眠をやってみなさい」といった主旨だったと思います。
政治家も秘書がやりましたと逃げるこの時代、どこの馬の骨とも分からない医学生にここまで言える教授はとても大人物なのだろうと直感し、九大心療内科への入局を決意しました。
その直感は当たり、久保先生はその後九大病院長、総長を歴任され、今は私立大学の学長となられて、いつまでも必要とされる大人物でした。ひよっこの頃の私のために、催眠療法研究会も代表をお引き受け下さり、すさまじいスケジュールの中でも研修開始のご挨拶に駆けつけて下さっていました。
久保先生には一生足を向けて寝られません。
そんな私も、日本の様々な催眠の大家に学んで力を付けていきました。
学びのプロセスの思い出などは、また、追々書いていければと思います。