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1073.正義感でご飯は食べられません

2024.01.21

 ブログを読んで下さるみなさま、いつもありがとうございます。六本松地区で開業していますまつばら心療内科の松原慎と申します。

 電車やバスの待ち列に横入りする輩には腹が立ちますよね。
 義侠心のある人はそういうルール違反を犯す人に注意したりします。

 それはそれで正しい行動であろうし、誰かがたしなめるべきかもしれません。私はそういった行動が間違っているとは思いませんし、可能であれば空気のように周りにいた人も、望ましい行動があれば、ギャラリーとしても応援して上げて欲しいとも思います。

 ただ、注意した人本人の損益を考えますと、だいたい損です。

 私自身、父から、「義を見てせざるは勇なきなり」とか、「正しいことを言って上げられるのが真の愛情だ」なんて教育を受けてきたせいか、そういう所で言いに行きがちなキャラクターに育ちました。でもそれって、無益有害といいますか、あまり良いことないんです。

 注意を受けた悪漢からは反発されたり、恨まれますし、運が悪いと暴力を受けるリスクもあります。例え暴力がなかったとしても変な理屈で言い返されて議論になるのも、深い感情という意味でも損だし、時間を取られます。
 例えば、10分後に自分が責任者の会合があるとしましょう。その時に、悪漢を注意するでしょうか。もちろん、緊急的な場面であればそれもありかもしれませんが、他人であったものが当事者になるほどの労力にリターンはほとんどないと言えるでしょう。刃傷沙汰がなかったとしても、言い返されたり不快になったら、次の会合のメンツに悪影響を及ぼしかねません。
 責任者になるということは、次の会合をスムーズに進める責任もあるわけですから、殴られたボクサーみたいな顔で会合には行けません。

 他人に正義感を表明しても良いことはあまりありません。

 その時は、お月謝精神で、お月謝をくれない人にはアドバイスはして上げない、と考えてスルーするのが時間も労力も無駄が省けます。正義感は腹の足しにならないということです。

 萎縮的に生きて、不条理なものをスルーして良いとまでは言いませんが、介入するには時間も労力も掛かるため、一々黄門様のように助さん格さんの助けが得られるわけでもありませんし、葵のご紋と前の副将軍・・・で万事解決するわけでもありません。むしろそういう解決はレアだからドラマになる訳です。

 目の前の事象に正義感を振りかざして嫌な思いをした経験のある方は、少し費用対効果も見直して頂いてはいかがでしょう。

地下鉄七隈線「六本松駅」徒歩5分